1957年、TBSのテレビドラマ『キンピラ先生青春記』で女学生役で出演し、初レギュラーでもあるアメリカの映画『ソニー号空飛ぶ冒険』に、小林恭治、城達也と一緒にレギュラー出演していた[13][15]。当時は生放送で、ヘリコプター会社の秘書役を演じ、「こちらヘレン、応答どうぞ」と言って、スイッチの効果音まで入れていた[15]。その時は生放送だけにトラブルも多かったが、元々映画好きだったことから、この吹き替えの仕事が面白く仕方がなかったという[15]。結婚後、家庭を持つと子育ての時間のやりくりができる声優業に専念することになった[12][19]。好きだった映画の主人公を声で演じられるのが嬉しく、声優の仕事にのめり込んで行ったという[15]。 1950年代 - 1960年代は洋画の吹き替えに出演していたが、1960年代後半から、洋画と並行してアニメの仕事も増えていったという[24]。 『チキチキマシン猛レース』、『未来少年コナン』、『アルプスの少女ハイジ』、「タイムボカンシリーズ」など、多くの人気作品でレギュラーキャラクターを担当[8][24]。 1979年からは『ドラえもん』で、野比のび太を演じることとなり、高齢化に伴い、2005年に全面リニューアルされるまでの約26年間のび太役を務めあげた[24]。後任は大原めぐみ。 1988年頃より講演活動と童話の朗読活動を開始[10][20]。1998年からは『小原乃梨子の読み聞かせ講座』として全国展開した[19]。朗読の指導や読み聞かせの研究会に力を入れている[20][25]。 2005年、第14回日本映画批評家大賞で、『ドラえもん』(テレビ朝日版)のオリジナルレギュラー陣(大山のぶ代、野村道子、たてかべ和也、肝付兼太の4人)とともに田山力哉賞を受賞[20]。さらに2006年11月、第11回アニメーション神戸で、同じくオリジナルレギュラー陣4人とともに特別賞を受賞[20]。2007年3月には東京国際アニメフェア2007で、同じくオリジナルレギュラー陣4人とともに第3回功労賞を受賞[20]。 2007年3月3日、第1回声優アワード功労賞を受賞[20][26]。 2013年3月2日、第7回声優アワードで森功至、大平透、岡本茉利と共に「シナジー賞(タツノコプロ50周年)」を受賞[27]。 趣味・特技は美術、クラシック音楽、バレエ鑑賞、ボールルームダンス、フルート、ハープ[8]、ゴルフ、バラ作り、読書[28]。 ウィンナ・ワルツを好んで聴き、しばしばウィーンを訪れるほどである。NHKの『N響アワー』にゲスト出演したこともあり(1999年7月11日放送)、司会の池辺晋一郎とは『未来少年コナン』で共演(小原は主人公のコナンを演じ、池辺が音楽を手がけた)している。 声優の仕事は体力と気力、その後は男の子役を演じるになってから「筋力も大事だ」と思い、朝食、昼食を食べたり食べなかったり、ガス欠の状態で仕事をしていた[24]。目眩がしてフラフラしており、「しっかり食べなきゃ動けない」、「1日24時間しかない」という当たり前のことがわからず、ハードなペースで動いていたため、結局事務所、周囲の皆に迷惑をかけてしまったという[24]。 その後は、栄養管理も含めて食事のことを考えるようになったが、2013年時点では「今日はたくさん仕事をしたから、早く寝なきゃ」と思い、家に帰っても、ビデオを見たり本を読んだりして寝不足になってしまうという[24]。 好きな言葉は「人は女に生まれない、女になるのだ」[2]。 テレビドラマ出演の傍ら、洋画吹き替え、アニメなど声優としても活躍している[12]。 演じる役柄は様々だが、声を変えておらず、気持ちを変えるとその声になるという[16]。プロデューサー、ディレクターからオファーのある役には「なぜ?」というのもあるが、自分のなかにある何かを誰かが見つけ、見つけてくれた自分に驚いたり、演じていたところ、楽しいという[16]。 2005年まで26年にわたり担当した『ドラえもん(テレビ朝日版第1期)』の野比のび太役を筆頭に、少年役を得意とする声優の1人としてアニメ創成期より活躍[16][24]。
声優として
現在まで
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特色
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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