1988年頃より講演活動と童話の朗読活動を開始[10][20]。1998年からは『小原乃梨子の読み聞かせ講座』として全国展開した[19]。朗読の指導や読み聞かせの研究会に力を入れている[20][25]。 2005年、第14回日本映画批評家大賞で、『ドラえもん』(テレビ朝日版)のオリジナルレギュラー陣(大山のぶ代、野村道子、たてかべ和也、肝付兼太の4人)とともに田山力哉賞を受賞[20]。さらに2006年11月、第11回アニメーション神戸で、同じくオリジナルレギュラー陣4人とともに特別賞を受賞[20]。2007年3月には東京国際アニメフェア2007で、同じくオリジナルレギュラー陣4人とともに第3回功労賞を受賞[20]。 2007年3月3日、第1回声優アワード功労賞を受賞[20][26]。 2013年3月2日、第7回声優アワードで森功至、大平透、岡本茉利と共に「シナジー賞(タツノコプロ50周年)」を受賞[27]。 趣味・特技は美術、クラシック音楽、バレエ鑑賞、ボールルームダンス、フルート、ハープ[8]、ゴルフ、バラ作り、読書[28]。 ウィンナ・ワルツを好んで聴き、しばしばウィーンを訪れるほどである。NHKの『N響アワー』にゲスト出演したこともあり(1999年7月11日放送)、司会の池辺晋一郎とは『未来少年コナン』で共演(小原は主人公のコナンを演じ、池辺が音楽を手がけた)している。 声優の仕事は体力と気力、その後は男の子役を演じるになってから「筋力も大事だ」と思い、朝食、昼食を食べたり食べなかったり、ガス欠の状態で仕事をしていた[24]。目眩がしてフラフラしており、「しっかり食べなきゃ動けない」、「1日24時間しかない」という当たり前のことがわからず、ハードなペースで動いていたため、結局事務所、周囲の皆に迷惑をかけてしまったという[24]。 その後は、栄養管理も含めて食事のことを考えるようになったが、2013年時点では「今日はたくさん仕事をしたから、早く寝なきゃ」と思い、家に帰っても、ビデオを見たり本を読んだりして寝不足になってしまうという[24]。 好きな言葉は「人は女に生まれない、女になるのだ」[2]。 テレビドラマ出演の傍ら、洋画吹き替え、アニメなど声優としても活躍している[12]。 演じる役柄は様々だが、声を変えておらず、気持ちを変えるとその声になるという[16]。プロデューサー、ディレクターからオファーのある役には「なぜ?」というのもあるが、自分のなかにある何かを誰かが見つけ、見つけてくれた自分に驚いたり、演じていたところ、楽しいという[16]。 2005年まで26年にわたり担当した『ドラえもん(テレビ朝日版第1期)』の野比のび太役を筆頭に、少年役を得意とする声優の1人としてアニメ創成期より活躍[16][24]。テレビアニメの最初の少年役は1966年の『ハリスの旋風』のメガネ役[24]。弱っちい男の子のキャラクターを出すために「先輩?ッス」という言い方を考えたという[24]。その後、人気が出て、その弱っちい男の子像はのび太に繋がっていったが、小原自身は強い、体力満々の役は苦手で貧血を起こすからかもしれないという[24]。『海底少年マリン』、『未来少年コナン』など元気な男の子役の時は「大丈夫かな?」と思っていたが、楽しかったという[24]。最初の頃は、男の子役はお手本がなかったため、「どうやったら男の子の声が出るかしら?」と色々試行錯誤していたという[24]。ノドを壊したこともあり、声のことを考えると辛かったという[24]。変わったのは、『アルプスの少女ハイジ』でペーター役を演じていた時で、「無理に男の子の声を作るんじゃくて、男の子の感情、感覚をつかめばいいんだ」と気付いたという[24]。息子、息子の周囲の子供達を見て参考にしていたという[24]。そういう役作りをするようになり、アニメの仕事が大変面白くなったという[24]。他方では『69年版ムーミン』での「おさびし山のガンマン」の無法者の女性親分や、『タイムボカンシリーズ』での三悪の女ボスなど、妙齢のコケティッシュな女性役もこなしている[16][24]。 洋画吹き替えではブリジット・バルドー[16][30]、シャーリー・マクレーン[16]、ジェーン・フォンダ[16][30]、ミレーヌ・ドモンジョ[21]、クラウディア・カルディナーレ[16]、アン・マーグレット、シルビア・クリステルなどを持ち役としている。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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