小原乃梨子
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芸人で端唄、小唄をうなり、寄席が好きで、六法全書の隣に落語全集がおいてあった[3][12]。3人姉妹で、父は姉に花柳流、小原に藤間流、妹に坂東流を習わせ、同じ曲を3人一緒に踊らせて見るのを楽しむ超粋人だった[3]。母はカトリック教徒で、敬虔なクリスチャンだった[2][4]。その時は毎週日曜日には家族揃って教会に出かけ、小原も礼拝を欠かさなかったという[4]。中学3年生か高校1年生位の頃、日曜学校に行き、クリスマスの聖誕劇の時はオルガン弾いて子供たちにやらせたり、青年部の人物たちにトルストイの『人は何のために生きるのか』を自分で脚色してやらせてみたりしていた[13]。兄、姉[12][14]、妹がいる[3]

小学生の頃、とても体が弱く、腺病質な女の子だった[3]。入院記録は13回で、テレビもなく、病室で本ばかり読んでおり、お話が好きになり、読んでるだけではなく、自分でやりたくなってしまったという[3]

戦時中、小学3年生の時に小学6年生だった姉と一緒に東京から長野県上高井郡須坂町(現:長野県須坂市)に行って、長野県に最年少で集団疎開[14]するも、食べ物の好き嫌いが激しかったために半年で親元へ帰される。縁故疎開先の埼玉県所沢市で敗戦を迎える[4]
キャリア

小学5年生の時に近所の友人に誘われて、児童合唱団「虹の橋」に入団[4][6][15][16]。父は反対していたが、芸事が好きだった母が、父に内緒で通わせてくれたという[15]子役として舞台、NHKの子供番組などに出演[4][15]。3級下に池田昌子がいる[15]。本を読むこと、作文を書くことが好きであり、物書きになろうと考えており、当時は村岡花子のような少女小説家に憧れていた[15]。中学時代に好きだったルイーザ・メイ・オルコットの『若草物語』が映画化され、母に連れて行ってもらい、ジョーを演じていたジューン・アリスンを見て、「女優ってすごい!! 女優になりたい」と女優を目指した[15][16]。後に映画『若草物語』の日本語吹き替え版でジョー役を演じた[16][17]。その時は嬉しく、「役者になって良かったなあ」と思ったという[13]

小学校卒業後、跡見学園中学校・高等学校[9]に進学し、芸能活動を休止していたが[12]、同高校時代は演劇部の活動に熱中していた[4]。高校時代、学生演劇のコンクールで小原が通っていた高校としては初めて最終審査に残り、あの頃は東京都立九段高等学校が会場であったという[13]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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