小学生の頃、とても体が弱く、腺病質な女の子だった[3]。入院記録は13回で、テレビもなく、病室で本ばかり読んでおり、お話が好きになり、読んでるだけではなく、自分でやりたくなってしまったという[3]。
戦時中、小学3年生の時に小学6年生だった姉と一緒に東京から長野県上高井郡須坂町(現:長野県須坂市)に行って、長野県に最年少で集団疎開[14]するも、食べ物の好き嫌いが激しかったために半年で親元へ帰される。縁故疎開先の埼玉県所沢市で敗戦を迎える[4]。 小学5年生の時に近所の友人に誘われて、児童合唱団「虹の橋」に入団[4][6][15][16]。父は反対していたが、芸事が好きだった母が、父に内緒で通わせてくれたという[15]。子役として舞台、NHKの子供番組などに出演[4][15]。3級下に池田昌子がいる[15]。本を読むこと、作文を書くことが好きであり、物書きになろうと考えており、当時は村岡花子のような少女小説家に憧れていた[15]。中学時代に好きだったルイーザ・メイ・オルコットの『若草物語』が映画化され、母に連れて行ってもらい、ジョーを演じていたジューン・アリスンを見て、「女優ってすごい!! 女優になりたい」と女優を目指した[15][16]。後に映画『若草物語』の日本語吹き替え版でジョー役を演じた[16][17]。その時は嬉しく、「役者になって良かったなあ」と思ったという[13]。 小学校卒業後、跡見学園中学校・高等学校[9]に進学し、芸能活動を休止していたが[12]、同高校時代は演劇部の活動に熱中していた[4]。高校時代、学生演劇のコンクールで小原が通っていた高校としては初めて最終審査に残り、あの頃は東京都立九段高等学校が会場であったという[13]。
キャリア