小十人
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なお、小十人の軍装には彦根藩赤備えのような朱色の甲冑が用いられ[1][2]、当時世間では「海老殻具足」と呼ばれていた[3]。それらは個人の所有物ではなく、在職中には幕府から貸与され、離職時に返却する「御貸具足」で[4]、井伊家同様に武田の赤備えに範を取って制定されたという[1][2]。小十人組の甲冑は、全体を朱に塗り紺糸素懸威とした簡素な仕立ての胴のほか、椎形兜猿頬鎖籠手佩楯のセットからなり、兜の正面には江戸幕府旗本の合印である金輪貫の前立物が付属したが[4][5][6]、馬上資格がないことと軽快な歩行を考慮してか、袖や脛当は甲冑一式には含まれなかった[4][5]
脚注[脚注の使い方]^ a b 村山 1913, p. 531- 272コマ目。
^ a b 山上 1942a, p. 280.
^ 大道寺友山『落穂集』、2021年11月30日閲覧。
^ a b c 文: 辻元よしふみ・絵: 辻元玲子. “ガードマンの制服物語 vol.5 徳川幕府 小十人組番士(1600?1860年代)”. 安心生活サポートWEBマガジン Always. ALSOK. 2021年11月22日閲覧。
^ a b 国書刊行会 1915, p. 7- 12コマ目。
^ 山上 1942b, p. 2033.

参考文献

村山, 鎮 著「大奥秘記」、国書刊行会 編『新燕石十種 第5』国書刊行会、1913年10月25日、496-539頁。 

国書刊行会 編『国史叢書 新東鑑附図』国書刊行会、1915年6月15日。 

山上, 八郎『日本甲冑の新研究 上巻』(訂正版)飯倉書店、1942年11月25日。 

山上, 八郎『日本甲冑の新研究 下巻』(訂正版)飯倉書店、1942年11月25日。 

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