小判
[Wikipedia|▼Menu]
これらも幕府の財政の埋め合わせを目的とした出目を狙ったものであり、幕末にはこれらの定位貨幣が小判の流通額を凌駕するようになっていた[25][26]
小判・一分判、および定位金貨・定位銀貨の流通高[27][注釈 4]

元禄8年(1695年)10,627,055両
宝永3年(1706年)14,036,220両
宝永7年(1710年)13,512,484両
正徳4年(1714年)11,995,610両
元文元年(1736年)8,742,096両
安永元年(1772年)18,698,215両小判
文政元年(1818年)24,631,215両
天保3年(1832年)40,206,600両
安政元年(1854年)48,556,952両
万延元年(1860年)82,262,552両
明治2年(1869年)126,837,932両定位金貨定位銀貨

大判

小判に対し、大判(大判金)も江戸時代を通して発行されていたが、大判は一般通貨ではなく、恩賞、贈答用のもので金一枚(四十四匁[注釈 5])という基準でつくられ[28][29]、計数貨幣としてではなく、品位と量目および需要を基に大判相場によって取引された(強いて言えば秤量貨幣に近く、現代的に解釈すれば、金地金インゴット)に相当するものと言える)。また、天保年間に大判と小判の中間的な貨幣として五両判が発行されたが、金含有量の劣る定位貨幣でありほとんど流通しなかった[30]
明治以降

なお、明治以降新貨条例が施行され、1両は1圓(円)と等価とされ(万延二分判2枚の金銀含有量の実質価値と1圓金貨の純金含有量の価値がほぼ等しかった)、古金銀(金貨(大判含む)および金貨単位の銀貨)はそれぞれの含有金銀量に基づいて定められた交換比率で新貨幣と交換された[31][27]
展示

貨幣・浮世絵ミュージアム貨幣博物館および造幣博物館には小判が体系的に展示されている。
江戸時代以前

括弧内は発行年、量目、金含有率(推定)[32][33][34]

駿河墨書小判(するがすみがきこばん・するがぼくしょこばん)(文禄4年(1595年)(確定的でない)、4.5、84%)

武蔵墨書小判(むさしすみがきこばん・むさしぼくしょこばん)(文禄4年(1595年)頃、4.8匁、84%)

江戸時代

括弧内は発行年、発行高、量目、金含有率(規定)。発行高は一分判との合計で、元禄小判の場合は二朱判も含む[27][35][36]

慶長小判(慶長6年(1601年)頃、14,727,055両(推定値)、4.76匁、84.3%→86.8%)

元禄小判元禄8年(1695年)9月、13,936,220両1分、4.76匁、57.4%)

宝永小判宝永7年(1710年)4月、11,515,500両、2.5匁、84.3%)

正徳小判正徳4年(1714年)5月、213,500両、4.76匁、84.3%)

享保小判(正徳4年(1714年)8月、8,280,000両、4.76匁、86.8%)

元文小判元文元年(1736年)5月、17,435,711両1分、3.5匁、65.7%)

文政小判文政2年(1819年)6月、11,043,360両、3.5匁、56.4%)

天保小判天保8年(1837年)7月、8,120,450両、3匁、56.8%)

安政小判安政6年(1859年)5月、351,000両、2.4匁、56.8%)

万延小判(万延元年(1860年)2月、666,700両、0.88匁、56.8%)

小判・一分判の規定品位および量目[注釈 6]慶長金(1601年)4.76匁
元字金(1695年)4.76匁
乾字金(1710年)2.50匁
正徳金(1714年)4.76匁
享保金(1714年)4.76匁
文字金(1736年)3.50匁
新文字金(1819年)3.50匁
保字金(1837年)3.00匁
正字金(1859年)2.40匁
万延金(1860年)0.88匁
慶長小判(1601年)、元禄小判(1695年)、宝永小判(1710年)、正徳小判(1714年)、享保小判(1714年)、元文小判(1736年)、文政小判(1819年)、天保小判(1837年)、安政小判(1859年)、万延小判(1860年)、何れもレプリカ。
(参考)一両の額面を持つ、または一両通用を想定した銀貨

江戸時代の金称呼定位銀貨には一分銀二朱銀一朱銀があるが、幕府の発行した貨幣として一両の額面を持つ金称呼定位銀貨は存在しない。ただ地方貨幣では、一両の額面を持つ、または一両通用を想定した銀貨として、秋田八匁封銀、秋田九匁二分銀判盛岡八匁銀判、会津一両銀判などが挙げられる。
脚注
注釈^ 大宝律令では金銀の量目は小両(約14グラム)を用いたが、延喜式以降は金銀も含めて原則として一両は十匁(約37.3グラム)となった。(『図録 日本の貨幣 2巻』東洋経済新報社1974年
^ 時代劇でも贈収賄のシーンでよく見られるさま
^ 名目価値が実質価値より劣る定位金貨や定位銀貨も小判に対する補助貨幣と規定されていたわけではなく、法定通貨として通用制限額が設定されているわけでもなかった。
^ 名目上の額面の総額は増加しても、実質上の純金総使用量は左程増加していない。
^ 実際には吹減り、磨耗を考慮して二分の入り目が足され、四十四匁二分が大判の規定量目である。
^ 「五十匁七分位」など金座関係文書の記録に基く品位であり、分析品位ではない。

出典[脚注の使い方]^ 瀧澤・西脇(1999), p237-238.
^ 瀧澤・西脇(1999), p64-65.
^ 久光(1976), p102.
^ 瀧澤・西脇(1999), p65-66.
^ 小葉田(1958), p78-79.
^ 三上(1996), p29-30.
^ 三上(1996), p69.
^ 貨幣商組合(1998), p50.
^ a b 青山(1982), p89.
^ 三上(1996), p70.
^ 造幣局(1940), p39.
^ 瀧澤・西脇(1999), p117-119.
^ 三上(1996), p215-219.
^ 小葉田(1958), p131.
^ 田谷(1963), p145-167.
^ 小葉田(1958), p125-144.
^ 滝沢(1996), p189-202.
^ 三上(1996), p281-285.


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:42 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef