1929年(昭和4年)の世界恐慌の影響を受けた昭和恐慌後に再び増加し、東北地方の凶作・農村不況を背景に第二次高揚期を迎える。第二次高揚期の小作争議は小作料減免を要求する大規模争議が中心であった第一次高揚期に比べ、東北地方が中心となり農地の耕作権をめぐる小規模争議を特徴とし、全国農民組合[9]の指導のもと数多くの争議が発生した。また、1931年(昭和6年)8月の全国農民組合全国会議では小作人以外の農民層を獲得して運動を展開するために、小作問題以外の税や負債、肥料などの独占価格、賃金や電灯料金などの広範な課題に取り組む農民委員会方針を提起し運動を展開した。
その後、戦時体制の推移において農民運動は閉塞する。戦後の農民運動は全日本農民組合連合会(全日農)、農民運動全国連合会(農民連)などに引き継がれている。 プロレタリア文学の世界では、各地の小作争議が作品の題材となることが多かった。小林多喜二は「不在地主」で、北海道の争議を描き、黒島伝治は「豚群」などの作品で農村の現実を描いた。プロレタリア文学運動が組織としては機能しなくなってからも、島木健作は「再建」などの作品で小作争議と農民組合を題材にした。
日本の小作争議の例
第一次高揚期(1920年?1926年[10])
岡山県藤田農場争議[11]
香川県太田村伏石争議
新潟県木崎村争議
大阪府山田村争議
佐賀県基山村争議[12]
京都府城南小作争議[13](南山城小作争議[14])
第二次高揚期(1929年?1935年[10])
秋田県阿仁前田争議
新潟県王番田争議・和田村争議
長野県五加村争議
山梨県奥野田争議
鳥取県箕蚊屋争議
北海道雨竜蜂須賀争議[15]
栃木県阿久津争議
文学に見る小作争議
脚注・参照^ 争議件数は増えたが、和解率も上昇『中外商業新報』昭和2年10月14日(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p158 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
^ 『小作組合
^ 下川耿史 『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』p343 河出書房新社 2003年11月30日刊 全国書誌番号:20522067
^ 『全日本農民組合』 - コトバンク
^ 『小作調停法』 - コトバンク
^ 『小作官』 - コトバンク
^ 農林省、小作調停法の実績を発表(一)『時事新報』大正15年11月14日(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p205 大正ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
^ 『耕作権』 - コトバンク
^ 『全国農民組合』 - コトバンク
^ a b 日本大百科全書(ニッポニカ)『小作争議』 - コトバンク
^ 『藤田農場争議』 - コトバンク
^ 佐賀県基山村で小作人が地主を襲撃『福岡日日新聞』大正14年10月20日夕刊(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p203 大正ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
^ 『城南小作争議』 - コトバンク
^ 『南山城小作争議』 - コトバンク
^ 『蜂須賀農場争議』 - コトバンク