小中村清矩
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明治21年(1888年)、文学博士の学位を取得し、帝室制度取調掛に任命され、明治23年(1890年)9月29日、貴族院議員に勅選され[1]、明治26年(1893年)、法典調査会査定委員となった[2]。明治27年(1895年)、75歳で死去。正五位に叙された。墓は谷中霊園甲9号8側にあったが、2020年に無縁撤去された。
逸話

剣南道人の『理趣情景』に、「近世の国学界に功績多かりし小中村博士は、一週間の日記をその最初の日に於て予期したりとの事なるが、博士もまたよく宣長のに髣髴したる資質ありしに似たリ」とある[3]

明治15年(1882年)に帝国大学において古典講習科が設置された際の開講式にて小中村は「これから普通の国学者を仕立てることであります。そこで当今の時勢であるから、普通の洋学もしなければ、切角国学を学び得ても、世に不通用なものにならうかと思はれます」と述べて、外国の手法を取り入れながら従来の国学に代わる新しい国学(史料や文書を読解する学問)を打ち立てる必要性を唱えた。また、近代的な日本史学の確立に力を尽くし、将来日本史研究を志望する若者たちのために『国史学の栞』の研究入門書を著している[4]
「令三弁」の旧説を墨守との批判

瀧川政次郎は『「律令考」解題』の中で、「(佐藤誠実の)「律令考」の出現によって、新進の法制史学者は、いずれも現存の令を養老令としたが、東京文科大学では羽倉家律令学の伝統を承けた小中村清矩教授が、「令三弁」(荷田在満著)の旧説を墨守し、現存の令を大宝令として講述していた。故に小中村博士の講義を聴いた人々は、みな現存令を大宝令とし、中等学校の国史教科書にも、大宝律令の名のみあって、養老律令の名を著さず、故にその僻説はひろく国民の間に浸透し、今に至るも現存令を大宝令と呼ぶ人が絶えない。」と批判している[5]
栄典

1889年(明治22年)6月19日 - 勲六等瑞宝章[6]

1890年(明治23年)11月1日 - 正六位[7]

著書
単著

『田制考


『国文ノ性質並沿革紋所並国旗ノ日章考』 東京大学法経文三学部 1879(明治12)年

『歌舞音楽略史』乾 私家版 1888(明治21)年

『歌舞音楽略史』坤 私家版 1888(明治21)年

『歌舞音楽略史』岩波文庫 296-297 1928(昭和3)年、復刊昭和59年・平成12年ほか


『国史学のしをり』 吉川半七 1895(明治28)年

『陽春廬雑考』 吉川半七 1898(明治31)年

『官制沿革略史』 吉川半七 1900(明治33)年

『官職制度沿革史』 勉強堂書店 1901(明治34)年

『官職制度沿革史』〈明治百年史叢書〉、原書房 1976(昭和51)年


『有声録』 広文堂書店 1915(大正4)年

『日本官職制度沿革史』 東学社 1935(昭和10)年 

『国史学の方法』 東学社 1936(昭和11)年

編著

中邨秋香 共 編『日用文鑑 上巻
』福田仙蔵、1894(明治27)。https://dl.ndl.go.jp/pid/993042。 

中邨秋香 共 編『日用文鑑 上巻 改正増訂(5版)』青山清吉、1899(明治32)。https://dl.ndl.go.jp/pid/865113。 


中邨秋香 共 編『日用文鑑 下巻』福田仙蔵、1894(明治27)。https://dl.ndl.go.jp/pid/993043。 

中邨秋香 共 編『日用文鑑 下巻 改正増訂(5版)』青山清吉、1899(明治32)。https://dl.ndl.go.jp/pid/865114。 


『小中村清矩日記』(大沼宜規編)、汲古書院、平成22年(2010年)

脚注[脚注の使い方]^ 『官報』第2182号、明治23年10月6日。
^ 花房吉太郎, 山本源太 編『日本博士全伝』p9‐12?「文学博士 小中村清矩 君」,博文館,1892. 国立国会図書館デジタルコレクション
^ 剣南道士『理趣情景』東亜堂、1905年、212頁。https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/889313/1/118。 
^ 酒匂由紀子「中世の〈土倉〉に関する解釈の淵源について」(初出:『法制史研究』68号(2019年)/改題所収:酒匂「中世の〈土倉〉に関する解釈の淵源」『室町・戦国期の土倉と酒屋』(吉川弘文館、2020年) ISBN 978-4-642-02961-2) 2020年、P83-85.
^ 瀧川政次郎 (1967). “「律令考」解題”. 國學院雜誌 68 (8): 4-5. https://dl.ndl.go.jp/pid/3365370/1/3. 
^ 『官報』第1791号「叙任及辞令」1889年6月20日。
^ 『官報』第2207号「叙任及辞令」1890年11月6日。

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