剣南道人の『理趣情景』に、「近世の国学界に功績多かりし小中村博士は、一週間の日記をその最初の日に於て予期したりとの事なるが、博士もまたよく宣長のに髣髴したる資質ありしに似たリ」とある[3]。
明治15年(1882年)に帝国大学において古典講習科が設置された際の開講式にて小中村は「これから普通の国学者を仕立てることであります。そこで当今の時勢であるから、普通の洋学もしなければ、切角国学を学び得ても、世に不通用なものにならうかと思はれます」と述べて、外国の手法を取り入れながら従来の国学に代わる新しい国学(史料や文書を読解する学問)を打ち立てる必要性を唱えた。また、近代的な日本史学の確立に力を尽くし、将来日本史研究を志望する若者たちのために『国史学の栞』の研究入門書を著している[4]。 瀧川政次郎は『「律令考」解題』の中で、「(佐藤誠実の)「律令考」の出現によって、新進の法制史学者は、いずれも現存の令を養老令としたが、東京文科大学では羽倉家律令学の伝統を承けた小中村清矩教授が、「令三弁
「令三弁」の旧説を墨守との批判
栄典
1889年(明治22年)6月19日 - 勲六等瑞宝章[6]
1890年(明治23年)11月1日 - 正六位[7]
著書
単著
『田制考』
『国文ノ性質並沿革紋所並国旗ノ日章考
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