こなか かずや
小中 和哉
生年月日 (1963-02-08) 1963年2月8日(61歳)
出生地三重県
職業映画監督
配偶者小中明子
著名な家族小中千昭(兄)
受賞
TAMA映画祭
最優秀作品賞
2020年『海辺の映画館―キネマの玉手箱』
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小中 和哉(こなか かずや、1963年2月8日[1] - )は、映画監督。三重県生まれ[2][3]、東京都出身[1]。脚本家の小中千昭は実兄[3]。
略歴
1977年中学3年のとき、大林宣彦監督『HOUSE ハウス』を観て衝撃を受け、映画の道に進んだ大林チルドレンの一人[4]。高校の映研の先輩・手塚眞を通じ、大林の娘、大林千茱萸と知り合い、『転校生』は試写室で大林千茱萸と一緒に観た[4]。その後大林千茱萸を通じて知り合った女性と結婚し、妻が大林の事務所PSCで働き始めた関係で、大林監督の1992年『青春デンデケデケデケ』にセカンドユニットの監督として参加している[4]。
成蹊高等学校在学時、手塚眞が制作した『FANTASTIC★PARTY』に出演。
1982年 - 自主映画『地球に落ちてきたくま』製作[1]。
1985年 - 立教大学法学部卒業後、メディア・ワークショップにて映像を学び、『星空のむこうの国』で劇場映画にデビュー[1][3]。
1992年 - 実兄の小中千昭と共に有限会社こぐま兄弟舎を設立[1][3]。
父は「朝日訴訟」の判決起案元裁判官の小中信幸。
エピソード
高校生の時に作った8mm映画「いつでも夢を」は、吉永小百合と橋幸夫が唄う同名歌謡曲に乗せて、小中の友人たちがクチパクで歌う短編フィルム。この作品が小型映画の全国大会でグランクリを受賞した授賞式の司会を務めていたTBSアナウンサーの林美雄に「未来のCM大監督」と絶賛されている。また、この賞金が「地球に落ちてきたくま」の製作費の基になっている。
「星空のむこうの国」- 主人公のクラスメイト役で、「ウルトラマンメビウス」の監督でも知られる佐野智樹がエキストラ出演している。
『電光超人グリッドマン』を演出後、円谷プロダクション制作の作品を中心に活躍している。
1989年 - 1990年頃にウルトラマンの企画作りに参加している。結局実現はしなかったがこの企画は『ウルトラマンG』の元になっている。この時の繋がりで『グリッドマン』へ参加した[5]。
『グリッドマン』ではテレビシリーズ初監督ということもあり思い通りに出来なかった部分も多く、『ウルトラマンゼアス2』以降はこの時のリベンジという思いで力が入ったという[5]。
村石宏實がバーのマスターとして出演した『ウルトラマンダイナ』第33話ではバーの客、『ULTRAMAN』ではウルトラマン・ザ・ネクストに助けられた少女の父親、『ウルトラマンネクサス』最終回ではウルトラマンネクサスとダークザギの決戦を見守る大衆の一人、そして『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』では、神戸の街にウルトラ4兄弟が現れた際、それを目撃した大衆の中で「ウルトラ兄弟だ」と喜ぶ男としてカメオ出演している。