将軍
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上段の称号ほど、また左側の称号ほど、格上となる[1]

南朝宋における将軍号の序列(五品まで)品秩将軍号
一品大将軍
二品驃騎・車騎・衛、諸大将軍
三品四征(征東・征南・征西・征北)
四鎮(鎮東・鎮南・鎮西・鎮北)
中軍・鎮軍・撫軍
四安(安東・安南・安西・安北)
四平(平東・平南・平西・平北)
前・左・右・後
征虜・冠軍・輔国・龍驤
四品左衛・右衛・驍騎・遊撃
左軍・右軍・前軍・後軍
寧朔
建威・振威・奮威・揚威・広威
建武・振武・奮武・揚武・広武
五品積射・彊弩
鷹揚・折衝・軽車・揚烈・寧遠・材官・伏波・凌江


3世紀?7世紀東アジア諸国による中国王朝授与の将軍号の序列

3世紀?7世紀に中国王朝と外交交渉を持った東アジア諸国は、国主に対して「王」号とともに、(1)軍事指揮官としての管轄領域の広さ、(2)将軍号の格付けなどに関して、より上位の称号を求めてせめぎ合った。
(1)管轄領域について: 「都督◯◯諸軍事」 ◯◯に管轄する地域名称が入る。
「都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事」(「倭の五王」の一部が「仮授」(=自称)した管轄領域)
「都督百済諸軍事」(歴代百済王が除正された管轄領域)
「都督営州諸軍事」(高句麗長寿王が413年に宋から「除正」された管轄領域)

(2)3世紀?7世紀の中国歴代政権は、中国の軍事指揮官に授与するのと同一カテゴリーの将軍号を、近隣諸国・諸民族の君主たちに授与した。

東アジア各国における将軍号のランク上昇の事例国名将軍号の上昇
高句麗(南朝授与)征東将軍→征東大将軍→車騎大将軍→撫軍(東)大将軍→寧東将軍
(北朝授与)征東将軍→車騎大将軍→安東将軍→驃騎大将軍→大将軍
百済 鎮東将軍→鎮東大将軍
倭 安東将軍→安東大将軍→鎮東大将軍→征東大将軍
加羅 輔国将軍
吐谷渾 征西将軍

4世紀?7世紀に倭・百済・高句麗・新羅・渤海の王と臣下たちが受けた将軍号

4世紀?6世紀、中国の周辺諸国では、君主の代替わりごとに中国に使者を派遣し、君主に所属する「王号・軍事指揮官としての管轄領域・将軍号」等のセットについて更新し、また配下の豪族・官僚のための「将軍の称号」と「幕府(=将軍府)に所属する文官の称号」を求め、それを配下に分配することにより、国内を統制しようとした[2]。(→府官制

倭・百済・高句麗・新羅等が中国に送った国書の中には「仮授?」または「私署?」と称して、君主とその配下に授与を希望する称号が列挙提示されているのを確認できるものが見られる。中国王朝の側では、称号のランクアップを出ししぶり、先代君主の称号を踏襲するのが通例であった。中国王朝が、近隣諸国の君主・臣下の称号を認定することを「除正」と称する[2]

倭の五王とその臣下が授かった将軍号西暦王名(臣下名)将軍号(仮授)将軍号(南朝除正)備考
421年倭讃 安東将軍[3]
438年倭珍安東大将軍 安東将軍[4]
 〃倭隋(王族) 平西将軍[5]
 〃(倭隋を含む臣下13人に)平西将軍・征虜将軍・冠軍将軍・輔国将軍など[5]
443年倭済 安東将軍[6]
451年倭済安東大将軍(昇格せず)[7]
462年倭興(世子) 安東将軍[8]
478年倭武安東大将軍安東大将軍[9]
479年倭武 鎮東大将軍[10]による一方的な陞爵の可能性。[11]
502年倭武 征東大将軍[12]による一方的な陞爵の可能性[12]

百済王とその臣下が授かった将軍号西暦王名(臣下名)将軍号(仮授)将軍号(南朝除正)備考
372年餘句 鎮東将軍[13]
416年餘映 鎮東将軍[14]
421年餘映 鎮東大将軍[15]
457年餘慶 鎮東大将軍[16]
458年餘紀(王族)行冠軍将軍 冠軍将軍[17]
〃餘昆(王族)行征虜将軍 征虜将軍[17]
〃餘暈(王族)行征虜将軍征虜将軍[17]
〃餘都(王族)行輔国将軍輔国将軍[17]
〃餘乂(王族)行輔国将軍輔国将軍[17]
〃沐衿行龍驤将軍龍驤将軍[18]
〃餘爵(王族)行龍驤将軍龍驤将軍[18]
〃餘流(王族)行寧朔将軍寧朔将軍[18]
〃糜貴行寧朔将軍寧朔将軍[18]
〃于西行建武将軍建武将軍[18]
〃餘婁(王族)行建武将軍建武将軍[5]
502年餘大 征東大将軍[12]による一方的な陞爵の可能性[12]
521年餘隆 寧東大将軍
524年餘明 綏東大将軍
570年餘昌 車騎大将軍

高句麗王とその臣下が授かった将軍号西暦王名(臣下名)将軍号(仮授)将軍号(南朝除正)将軍号(北朝除正)備考
413年高l 征東将軍[19]東晋より。
417年高l 征東大将軍[15]より。
435年高l 征東将軍[20]北魏より。
463年高巨連 車騎大将軍[21]宋より。
492年高羅雲 征東将軍・領護東夷中郎将北魏より。
492年高羅雲征東大将軍より。
502年高羅雲 車騎大将軍[12]梁より。
508年高羅雲 撫軍(東)大将軍梁より。
520年高羅雲 車騎大将軍北魏より、死後追贈。
520年高興安 安東将軍・領護東夷校尉北魏より
520年高興安寧東将軍梁より
534年高宝延 領護東夷校尉北魏より
534年高宝延寧東将軍梁より
550年高平成 驃騎大将軍・領護東夷校尉北斉より
560年高陽成 領護東夷校尉北斉による。
562年高陽成 寧東将軍による。
577年高陽成 大将軍北周による。
581年高陽成 大将軍による。

新羅王とその臣下が授かった将軍号西暦王名(臣下名)将軍号(仮授)将軍号(除正)備考
648年金文王   左武衛将軍による。金春秋の子。
674年金仁文 右驍衛員外大将軍唐による。王弟。
675年金法敏 右驍衛員外大将軍唐による。王。金仁文の兄。
687年金理洪   輔国大将軍・行左豹韜尉大将軍武周による。
702年金興光 輔国大将軍・行左豹韜尉大将軍唐による。
713年金興光 驃騎将軍・特進行左威衛大将軍軍唐による。
 以降の歴代は将軍号を受けず。

渤海王とその臣下が授かった将軍号西暦王名(臣下名)将軍号(仮授)将軍号(除正)備考
692年大祚栄 左驍衛大将軍による。
719年大門芸 左驍衛将軍唐による。王弟。唐に亡命。
737年大欽茂 左驍衛大将軍唐による。
794年大嵩? 右驍衛大将軍唐による。
 大嵩?の時、君主の称号が「郡王」から「国王」へ
と進み、それに伴い付随する官職、爵位、都督職な
ども格上げされ、以降の歴代「国王」は「将軍」号
に変わり文官職を授かるようになった。

「仮授」は、受封側が希望する称号、「除正」は中国側が実際に授与した称号。
近代以降の軍隊における将軍

近代以降の軍隊では、陸軍空軍海兵隊将官の階級としては、准将 (Brigadier General) 、少将 (Major General) 、中将 (Lieutenant General) 、大将 (General) が存在する(英語表記はアメリカ軍の場合)。また将官の上に元帥アメリカ陸軍の場合は General of the Army)が存在する。


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