寿都郡
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明治5年 - 胆振国虻田郡黒松内村の所属郡が本郡に変更[2]

4月9日1872年5月15日) - 全国一律に戸長・副戸長を設置(大区小区制)。

10月10日(1872年11月10日) - 4月に設置された区を大区と改称し、その下に旧来の町村をいくつかまとめて小区を設置(大区小区制)。


明治9年(1876年)9月 - 従来開拓使において随意定めた大小区画を廃し、新たに全道を30の大区に分ち、大区の下に166の小区を設けた。
明治9年の大区小区

第7大区

4小区 : 湯別村、樽岸村、六条村、岩崎村

5小区 : 中歌村、矢追村、政泊村

6小区 : 黒松内村



明治12年(1879年7月23日 - 郡区町村編制法の北海道での施行により、行政区画としての寿都郡が発足。

明治13年(1880年)1月 - 寿都郡外三郡役所(寿都磯谷歌棄島牧郡役所)の管轄となる。

明治14年(1881年)- 矢追村と六条村が町制施行し、中歌村が大磯町、渡島町、新栄町に、岩崎村が岩崎町、開進町にそれぞれ分かれる。

明治15年(1882年2月8日 - 廃使置県により函館県の管轄となる。

明治19年(1886年

1月26日 - 廃県置庁により北海道庁函館支庁の管轄となる。

12月 - 函館支庁が廃止。


明治30年(1897年11月5日 - 郡役所が廃止され、寿都支庁の管轄となる。

明治33年(1900年7月1日 - 北海道一級町村制の施行により、六条町、岩崎町、開進町、渡島町、新栄町、大磯町、矢追町の区域をもって寿都町(一級町)が発足。(1町)

明治42年(1909年4月1日 - 北海道二級町村制の施行により、黒松内村(二級村、単独村制)が発足。(1町1村)

明治43年(1910年3月1日 - 寿都支庁が廃止され、後志支庁の管轄となる。

大正12年(1923年)4月1日 - 北海道二級町村制の施行により、下記の町村が発足。(1町3村)

政泊村(二級村、単独村制、現・寿都町)

樽岸村(二級村) ← 樽岸村(現・寿都町、黒松内町)、湯別村(現・寿都町)


昭和8年(1933年10月1日 - 寿都町・政泊村が合併し、改めて寿都町(一級町)が発足。(1町2村)

昭和18年(1943年6月1日 - 北海道一・二級町村制が廃止され、北海道で町村制を施行。二級町村は指定町村となる。

昭和21年(1946年10月5日 - 指定町村を廃止。

昭和22年(1947年5月3日 - 地方自治法の施行により北海道後志支庁の管轄となる。

昭和30年(1955年

1月15日(1町1村)

黒松内村および樽岸村の一部(字中ノ川・添別・目名・月越および五十嵐・丸山の一部)が歌棄郡熱郛村と合併して三和村が発足。

寿都町および樽岸村の残部(字建岩・樽岸・小川・浜中・上湯別・下湯別および五十嵐・丸山の一部)が歌棄郡歌棄村磯谷郡磯谷村と合併し、改めて寿都町が発足。


4月1日 - 寿都町の一部(磯谷町北尻別)が磯谷郡蘭越町に編入。


昭和34年(1959年

1月1日 - 三和村が町制施行して三和町となる。(2町)

5月1日 - 三和町が改称して黒松内町となる。


平成22年(2010年)4月1日 - 後志支庁が廃止され、後志総合振興局の管轄となる。

脚注[脚注の使い方]^ a b その他の区域は1955年歌棄郡磯谷郡から編入。
^[1]

参考文献

角川日本地名大辞典 1 北海道

関連項目

松前藩

箱館奉行

和人地

商場(場所)知行制

場所請負制

北前船

寿都鉄道










後志国

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