上記の通り、戦闘機の空対空兵器としては機関銃・砲が用いられてきたが[8]、弾丸の一発あたりの威力が大きくない場合、衝突コース攻撃のように短時間しか射撃機会を得られないと目標を十分に破壊できない一方、十分な弾丸を投射するため一定時間にわたって追尾コース攻撃を行うと、敵機の尾部銃座の火力に曝される時間も長くなるという問題があった[9]。
これに対し、ロケット弾であれば、要撃機は発射点に占位して一斉射撃をすればよいことになり、安全性は増大することが発想された[9]。アメリカ空軍のF-86Dでは機関銃を全廃し、かわって24発の2.75インチ・ロケット弾を隠顕式ランチャーに収容して搭載する方式とした[10]。続くF-89では、A・B・C型で20mm機関砲6門を搭載したものの、威力不足が指摘されて、1954年より部隊配備されたD型では、再び2.75インチ・ロケット弾を主兵装とし、最大で104発を搭載した[11]。その後、誘導可能な空対空ミサイルの発達とジェット機の高速化・高性能化が進むと、ロケット弾は空対空兵器としては用いられなくなっていった[11]。
なお第二次世界大戦末期のドイツ国では、ロケット弾を地対空兵器として用いたルフトファウストが開発されていたが、これは試作に留まり、広く用いられることはなかった[12]。
ミサイル詳細は「対空ミサイル」を参照
第二次世界大戦末期より、戦闘機を補完する長射程の対空兵器として地対空ミサイル(SAM)が登場し、アメリカ陸軍は1953年よりナイキ・エイジャックスを、1959年にはアメリカ空軍もボマークを配備した[13]。またアメリカ海軍も、特別攻撃隊の脅威を契機として長射程の対空兵器としての艦対空ミサイルに着目しており[14]、1949年には既にテリアミサイルのプロトタイプの受領を開始していた[15]。SAMの登場とともに、特に高・中高度防空においてはSAMへの移行が進み、例えばイギリス軍は1958年には中・大口径の対空砲をこれ以上改良しないことを決定して、SAMへの移行を加速させた[13]。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ システムの可搬性の面では、携帯式防空ミサイルシステム(MANPADS)などSAMのほうが優れている面もある[7]。
出典^ Hogg 1972.
^ 佐山 2008, pp. 194?217.
^ 堤 2006.
^ a b 立花 1999, pp. 162?172.
^ ワールドフォトプレス 1986, pp. 70?84.
^ 猪口修道「高射砲」『日本大百科全書』株式会社DIGITALIO〈コトバンク〉。https://kotobank.jp/word/%E9%AB%98%E5%B0%84%E7%A0%B2-62225