第二次大戦での大西洋の戦いでは、最終的に連合軍は3,000隻、1,600万トンの貨客船を、ドイツ海軍は700隻余りのUボートを失った。 一方、第二次世界大戦末期より、センサーと武器システムの双方で、次世代への萌芽が出現しつつあった。 センサーとしては、従来用いられてきたサーチライト・ソナーにかわり、迅速に走査・モード変換できるスキャニング(走査型)・ソナーが主流となった。初めて実戦配備されたスキャニング・ソナーは1948年より艦隊配備されたアメリカ海軍のQHBで、これは後にAN/SQS-10/11と改称したのちにAN/SQS-4に発展し、護衛駆逐艦やフリゲートで広く用いられた[7]。 対潜哨戒機においても、従来はレーダーと磁気探知機 (MAD) が主なセンサーであったが、投棄式ソナーであるソノブイが用いられるようになった。また従来は固定翼機(陸上機・水上機)が用いられていたが、さらに回転翼機も登場してきた。アメリカ、ソ連、イギリスなどにおいて、空母の艦上機としては50年代から、またその他戦闘艦の艦載機としては60年代前半から配備されるようになった。「対潜哨戒機#哨戒ヘリコプター」も参照 攻撃手段としては、対潜迫撃砲をロケット砲とすることで長射程化が志向されるとともに、誘導手段を備えた短魚雷 一方、このような技術・装備の改良と並行して、理論・戦術に関する洞察も進められていた。第2次世界大戦の実戦環境下で収拾された様々なデータが整理されるとともに、数学・海洋学等の学術的アプローチも加味した研究が行なわれた。海洋音響学の進歩や、平時からの海洋観測によって海底地形・底質や潮流・海流、地磁気、水質(水温・塩分など)などの情報を蓄積することで、エビデンスに基づく探知予察が可能となりつつあった。1961年にはSOSUSが実戦段階に移行し、パッシブ手段による広域対潜捜索の基礎が整えられた。 そしてこの探知予察を実戦に応用するため、アメリカ海軍においては対潜戦のシステム化が志向されるようになった。対潜哨戒機用としては、A-NEWシステムが1960年から海軍航空開発センター
走査型ソナー・ヘリコプター・短魚雷(1940年代 - 1970年代)
原潜の普及とパッシブ戦への移行(1960年代 - 1980年代)
さらに1964年9月には、当時対空戦 (AAW) を主眼として就役し始めていた海軍戦術情報システム (NTDS) を対潜戦向けに発展させる試みとして、ASWSC&CS (ASW Ship Command and Control System) に関するSOR (Specific Operational Requirement) が発出された[10]。これは基本的にプロトタイプに過ぎなかったが、実用試験のためにASWSC&CSを搭載した3隻のHUK (Hunter/Killer) 任務群を編成することが決定され、1966年から1967年にかけてエセックス級空母の一隻である「ワスプ」を対潜空母として改装し (CVS-18)、また当時建造中だったガーシア級フリゲートのうち「ヴォーグ」(FF-1047) および「コーレシュ」(FF-1049) がASWSC&CSを搭載するよう改設計を受けた[11]。この試作成果は後にスプルーアンス級駆逐艦やオリバー・ハザード・ペリー級ミサイルフリゲートなどのNTDSにおいて統合された[12]。
そして1969年には、海軍艦隊気象数値センター (FNWC) により、全世界規模で対潜戦を支援する探知予察システムとして、固定翼哨戒機向けのASRAPS (Acoustic Sensor Range Prediction System) および回転翼哨戒機向けのSHARPS (Ship Helicopter Acoustic Range Prediction system) が稼働を開始した[13]。
一方、作戦環境においては、1960年代末から1970年代にかけて、アメリカ海軍は、仮想敵であったソビエト連邦軍における潜水艦の原子力推進化と潜水艦発射対艦巡航ミサイル (USM) の配備という新たな状況変化に対応する必要性に直面していた。