対潜戦
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イギリス軍では、既にバトル・オブ・ブリテンにおいてパトリック・ブラケット博士を始めとする数学者たちがオペレーションズ・リサーチを活用していたが、ブラケット博士は海軍士官候補生として第一次世界大戦に従軍していたこともあり、対潜戦への応用にも積極的であった。アメリカ海軍においても、1942年、大西洋艦隊対潜部隊指揮官であったW.D.ベイカー大佐は、NDRCの支援下に、対潜戦オペレーションズ・リサーチ・グループ (ASW Operations Research Group, ASWORG) を編成した。編成時の人員は7名であったが、1943年7月には44名に増強されて第10艦隊隷下に編入、さらに1944年10月には対潜戦以外の分野にも支援を提供するため、合衆国艦隊司令長官の直率下に移動されてORG (Operations Research Group) と改称された[6]

第二次大戦での大西洋の戦いでは、最終的に連合軍は3,000隻、1,600万トンの貨客船を、ドイツ海軍は700隻余りのUボートを失った。
走査型ソナー・ヘリコプター・短魚雷(1940年代 - 1970年代)

一方、第二次世界大戦末期より、センサーと武器システムの双方で、次世代への萌芽が出現しつつあった。

センサーとしては、従来用いられてきたサーチライト・ソナーにかわり、迅速に走査・モード変換できるスキャニング(走査型)・ソナーが主流となった。初めて実戦配備されたスキャニング・ソナーは1948年より艦隊配備されたアメリカ海軍のQHBで、これは後にAN/SQS-10/11と改称したのちにAN/SQS-4に発展し、護衛駆逐艦フリゲートで広く用いられた[7]

対潜哨戒機においても、従来はレーダーと磁気探知機 (MAD) が主なセンサーであったが、投棄式ソナーであるソノブイが用いられるようになった。また従来は固定翼機(陸上機・水上機)が用いられていたが、さらに回転翼機も登場してきた。アメリカ、ソ連、イギリスなどにおいて、空母の艦上機としては50年代から、またその他戦闘艦の艦載機としては60年代前半から配備されるようになった。「対潜哨戒機#哨戒ヘリコプター」も参照

攻撃手段としては、対潜迫撃砲をロケット砲とすることで長射程化が志向されるとともに、誘導手段を備えた短魚雷が出現し、後には対潜ミサイルの弾頭ともなった。最初期の短魚雷(航空機用のMk.24、水上艦用のMk.32など)はいずれも19インチ (483mm) 径であり、水上艦艇からの投射手段としては、現在主流となっている3連装発射管ではなく、短魚雷落射機が用いられた。これらは、対潜兵器としては初めて自律誘導を可能としたという点で画期的であったが、いずれも15ノット前後と低速であったために、実際の有効性は限定的なものであった。1960年より就役したMk.44は324mm径を採用し、航空魚雷として用いられたほか三連装発射管とともに水上艦艇に導入されて、まもなく西側諸国において標準となった[8]
原潜の普及とパッシブ戦への移行(1960年代 - 1980年代)

一方、このような技術・装備の改良と並行して、理論・戦術に関する洞察も進められていた。第2次世界大戦の実戦環境下で収拾された様々なデータが整理されるとともに、数学海洋学等の学術的アプローチも加味した研究が行なわれた。海洋音響学の進歩や、平時からの海洋観測によって海底地形・底質潮流海流地磁気水質水温塩分など)などの情報を蓄積することで、エビデンスに基づく探知予察が可能となりつつあった。1961年にはSOSUSが実戦段階に移行し、パッシブ手段による広域対潜捜索の基礎が整えられた。

そしてこの探知予察を実戦に応用するため、アメリカ海軍においては対潜戦のシステム化が志向されるようになった。対潜哨戒機用としては、A-NEWシステムが1960年から海軍航空開発センター(英語版) (NADC, Naval Air Development Center)(現:海軍航空戦センター(英語版) (NAWC, Naval Air Warfare Center))により開発を開始し、1963年にはUNIVAC-1830 (CP-823/U) を用いた試作機が完成、実用機であるCP-901/ASQ-114(UNIVAC 1830A)を搭載したP-3Cは1969年より部隊配備を開始した。なおシステム名称は、単に「新たなASW武器システム」(a new ASW weapons system) をもじったものと言われている[9]

さらに1964年9月には、当時対空戦 (AAW) を主眼として就役し始めていた海軍戦術情報システム (NTDS) を対潜戦向けに発展させる試みとして、ASWSC&CS (ASW Ship Command and Control System) に関するSOR (Specific Operational Requirement) が発出された[10]。これは基本的にプロトタイプに過ぎなかったが、実用試験のためにASWSC&CSを搭載した3隻のHUK (Hunter/Killer) 任務群を編成することが決定され、1966年から1967年にかけてエセックス級空母の一隻である「ワスプ」を対潜空母として改装し (CVS-18)、また当時建造中だったガーシア級フリゲートのうち「ヴォーグ」(FF-1047) および「コーレシュ」(FF-1049) がASWSC&CSを搭載するよう改設計を受けた[11]。この試作成果は後にスプルーアンス級駆逐艦オリバー・ハザード・ペリー級ミサイルフリゲートなどのNTDSにおいて統合された[12]

そして1969年には、海軍艦隊気象数値センター (FNWC) により、全世界規模で対潜戦を支援する探知予察システムとして、固定翼哨戒機向けのASRAPS (Acoustic Sensor Range Prediction System) および回転翼哨戒機向けのSHARPS (Ship Helicopter Acoustic Range Prediction system) が稼働を開始した[13]

一方、作戦環境においては、1960年代末から1970年代にかけて、アメリカ海軍は、仮想敵であったソビエト連邦軍における潜水艦の原子力推進化と潜水艦発射対艦巡航ミサイル (USM) の配備という新たな状況変化に対応する必要性に直面していた。


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