1970年の『無常』を機に監督した実相寺昭雄にも重用されたほか[6]、1981年の相米慎二の監督映画『セーラー服と機関銃』への出演以降、相米から信頼され、相米作品の常連俳優となる[4][6]。1985年の相米作品の『ラブホテル』では2作目となる主役を演じ、ヨコハマ映画祭主演男優賞を受賞した[4][6]。以後も個性派の性格俳優として多くの映画、テレビドラマで活躍[6]。
ナレーターとしても起用が多く[9]、声優としては1986年公開のスタジオジブリ作品である『天空の城ラピュタ』(以下、『ラピュタ』)のムスカ大佐役が有名。
2008年、東海大学文学部特任教授に就任[6]。「現代映画論」「演劇入門」「戯曲・シナリオ論」の各科目を担当する。
晩年 - 死去[ソースを編集]
2016年、オーチャードホールにおいて行われた先述の『ラピュタ』のフルオーケストラによるコンサートに、ヒロインのシータ役の声優 よこざわけい子と共にゲスト出演した[4][10]。
2021年、映画『信虎』の武田信玄の父である武田信虎役で自身3度目、および36年ぶりとなる主演を務めた[4]。
2024年3月14日、肺がんのために死去した[11][12]。81歳没。
人物[ソースを編集]
『ラピュタ』のムスカ役[ソースを編集]
『天空の城ラピュタ』以前は外国映画の吹き替えを何度か経験したが、アニメ作品ではそれが初めてだった[4]。本作品の後半の収録時は絵が未完成だったため、“15秒でこのセリフを言って下さい”などと指示を受け、時計を見ながら声を吹き込んだ[4]。劇中のムスカの台詞は、公開後から頻繁に物真似されるようになった[13][14][15]。
東海大学の特任教授になった際、教え子たちからよく「ムスカやってください」と言われた。しかし、本人は「当時、2日で録ったからほとんど覚えていなかった」とのことで、「そのキャラクターはどんな台詞があるんだい?」と訊き返したという[16]。後述の事情で『ラピュタ』とは長い間にわたって距離を置いていたため、出演した時の演技感覚をすっかり忘れてしまっており、教え子たちからは「似ていない」と言われることが多かったという[16]。また、2016年の『ラピュタ』のコンサートでは約2,000人の前で劇中曲に合わせ、よこざわけい子と名場面の台詞を披露した[10]。それまで『ラピュタ』を一度も見ていなかったため、練習では周りの人と話が噛み合わなかったという[注 3][注 4]
後日、娘が持つ本作品のDVDを借りて初めて鑑賞して[注 5]復習し、「3つくらいなら台詞を言えるようになった」とのこと[17][18]。なお、寺田は『ラピュタ』に出演した際、演技について宮ア駿と揉めたという。その関係もあり、トラウマとなったことで公開後もまったく『ラピュタ』を観ることは無かったという。このことから寺田は、声優業は専門の教育を受けた役者(いわゆる本業声優)が演じるべきであると論じている。現在は上述の経緯や娘から勧められたこともあってトラウマを克服しているという[16]。
考え方[ソースを編集]
文学座時代に芥川比呂志から演技をする上で、「とにかく色んな本を読め」と「恋をしろ」ということを教わった。寺田によると、「恋をすれば心がときめく。情熱も嫉妬も恨みつらみも、涙も笑顔も全ての感情は恋に凝縮される」とのこと[4]。