2005年の第44回衆議院議員総選挙で、広島5区で再選(三谷も比例復活)。2007年に発足した第1次安倍改造内閣で防衛大臣政務官に任命され、福田康夫内閣で再任。
2009年の第45回衆議院議員総選挙で、広島5区で三谷に敗れ、比例復活もならず落選。
2012年の第46回衆議院議員総選挙で、三谷に比例復活も許さず3期目の当選。選挙後に発足した第2次安倍内閣で内閣府副大臣兼復興副大臣に就任する。2013年10月の内閣及び自民党役員人事で党副幹事長に就任する。
2014年6月22日、第186回国会が閉会。同国会において「大臣、副大臣、政務官、補佐官、議長、副議長、委員長、の要職に就かず、質問、議員立法、質問主意書を提出していない」と指摘された[12][13]。同年10月、自民党国会対策副委員長に就任。
同年12月の第47回衆議院議員総選挙で、4期目の当選[14]。
2016年8月の自民党役員人事で党国防部会長[15]に就任する。
2017年の第48回衆議院議員総選挙で、5期目の当選[16]。
2019年9月、第4次安倍第2次改造内閣で総務副大臣兼内閣府副大臣に就任[17]。
2021年10月31日、第49回衆議院議員総選挙で6選。内閣総理大臣補佐官在任中に公開された肖像写真
同年12月3日、第2次岸田内閣で内閣総理大臣補佐官(国家安全保障に関する重要政策及び核軍縮・不拡散問題担当)に就任[18][19]。また岸田文雄が内閣総理大臣・自由民主党総裁に就いたために自由民主党広島県支部連合会会長を退くことになり、その後任会長に寺田が推挙され、年内に正式就任する運びとなっている[20]。
総務大臣に就任[ソースを編集]
2022年8月10日、第2次岸田第1次改造内閣で総務大臣に就任。
同年10月5日、週刊文春の電子版が、寺田の政治団体「自由民主党広島県第五選挙区支部」と「寺田稔呉後援会」にまつわる身内への資金の還流と、源泉徴収の関連書類の未提出による脱税の疑惑をスクープ[21]。以後、連日にわたり、不適切な政治資金収支報告書の提出などに絡む「政治とカネ」に関する不祥事の報道がなされた(後述)。同年11月18日、寺田は記者会見を開き、自民党内から総務大臣辞任を求める声が上がっていることを聞かれると、「辞任を求める声は直接、耳にしていない。何人かの自民党関係者からは激励を受けている」と述べた。また、「(選挙区の)皆さんから非常に激励をいただき、『よくああやって正直に説明して感心しました』という声しか私は聞いていない」と述べ、辞任の考えはないことを示した[22]。
同年11月20日、寺田は総務大臣の辞表を岸田文雄首相に提出し、受理された。事実上の更迭と見られ、同内閣では山際大志郎経済再生担当大臣、葉梨康弘法務大臣に続く更迭となる[23][24]。11月21日に正式に辞任[25]。11月29日、自由民主党広島県連会長を辞任[26]。詳細は「#不祥事」を参照
政策・主張[ソースを編集]
憲法[ソースを編集]
憲法改正について、2021年のアンケートで「賛成」と回答[27]。
憲法9条への自衛隊の明記について、2021年のアンケートで回答しなかった[28]。
憲法を改正し緊急事態条項を設けることについて、2021年の毎日新聞社のアンケートで「賛成」と回答[29]。
外交・安全保障[ソースを編集]
「他国からの攻撃が予想される場合には敵基地攻撃もためらうべきではない」との問題提起に対し、2021年のアンケートで「どちらかといえば賛成」と回答[27]。
「北朝鮮に対しては対話よりも圧力を優先すべきだ」との問題提起に対し、2021年のアンケートで「どちらかといえば賛成」と回答[27]。
普天間基地の辺野古移設について、2021年のアンケートで「どちらかといえば賛成」と回答[27]。