寺内正毅
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卒業後は新設された陸軍士官学校にスタッフとして所属し、生徒司令副官を務めた[6]

明治10年(1877年)に勃発した西南戦争では、当初後備部隊の大隊長に任じられたが前線を志願し[4]、最大の激戦とされた田原坂の戦いで銃撃を受けて負傷して右手の自由をなくした[7]。そのため、以降は実戦の指揮を執ることはなく、軍政や軍教育の方面を歩んだ。

1878年に士官学校生徒大隊司令官心得という職務を経た後、明治15年(1882年閑院宮載仁親王の随員としてフランス留学する[7]。翌年には駐在武官に任ぜられ、1886年までフランスに滞在した[4]。帰国後は、陸軍大臣官房副長(1886年)、陸軍士官学校長(1887年)、第1師団参謀長(1891年)、参謀本部第一局長(1892年)とキャリアを重ねた。明治27年(1894年)の日清戦争では兵站の最高責任者である大本営運輸通信長官を務めた。その後、歩兵第3旅団長(1896年)、教育総監1898年)を経て、明治33年(1900年)より参謀本部次長に就き、義和団の乱では現地に赴いた。
政治家として岡田三郎助筆『寺内正毅肖像画』
陸軍大臣

第1次桂内閣(1901年6月2日 - 1905年12月21日)が成立すると陸軍大臣となり、日露戦争の勝利に貢献した。第1次西園寺内閣第2次桂内閣(1908年7月14日 - 1911年8月25日)でも再び陸相を務めた[注釈 2]。明治39年(1906年)には南満洲鉄道設立委員長・陸軍大将に栄進した。明治40年(1907年)9月、戊辰・西南・日清・日露の各戦役の軍功によって子爵を授けられた。
韓国統監・朝鮮総督

明治42年(1909年)10月26日のハルビンにおける伊藤博文暗殺後、第2代韓国統監曾禰荒助が辞職すると明治43年(1910年)5月30日、陸相のまま第3代韓国統監を兼任し、同年8月22日の日韓併合と共に10月1日、朝鮮総督府が設置されると、引き続き陸相兼任のまま初代朝鮮総督に就任した。なお、陸相兼任は第2次西園寺内閣の成立で石本新六が陸相に就任するまで続いた。朝鮮総督は天皇に直隷し、委任の範囲内に於いて朝鮮防備のための軍事権を行使し、内閣総理大臣を経由して立法権、行政権、司法権にわたる多岐な権限を持った。寺内は憲兵警察を兼務させる憲兵警察制度を創始し、朝鮮の治安維持を行ったことなどに対して、後に武断政治と評価された。明治44年(1911年)4月、韓国併合の功によって伯爵を授けられた。
内閣総理大臣

大正5年(1916年)6月24日、元帥府に列せられる。10月16日に総督を辞任し、10月19日には内閣総理大臣に就任。朝鮮総督としての功績を認められてのことである。寺内の頭の形がビリケン人形にそっくりだったことから、これに超然内閣の「非立憲(ひりっけん)」をひっかけて「ビリケン内閣」と呼ばれた。時は第一次世界大戦の最中であり、寺内は大正7年(1918年)8月2日にシベリア出兵を宣言したが、米騒動の責任をとって9月21日に総辞職した。

寺内自身は内閣末期には既に病気がちであり、翌年に心臓肥大症のため平井赤十字病院において薨去[8]。享年68。墓所は生誕地である山口市宮野に所在し、子息の寺内寿一の墓もそこにある。また、宮野には朝鮮関係などの書籍を寄贈した私設図書館「寺内桜圃文庫」を設立した。寺内桜圃文庫の書籍は戦後、山口県立大学に移され、さらに朝鮮関係の一部は韓国の慶南大学校に移管された[9]。寺内桜圃文庫の元の建物は、2011年現在も山口県立大学に隣接する形で残されている[10]
栄典
位階


1874年(明治7年)3月8日 - 正七位[11]

1879年(明治12年)12月20日 - 従六位[11]

1884年(明治17年)10月20日 - 正六位[11][12]

1890年(明治23年)1月17日 - 従五位[11][13]

1894年(明治27年)10月10日 - 正五位[11][14]

1898年(明治31年)10月31日 - 従四位[11][15]

1902年(明治35年)4月11日 - 正四位[11][16]

1904年(明治37年)4月20日 - 従三位[11][17]

1907年(明治40年)5月10日 - 正三位[11][18]

1912年(明治45年)5月31日 - 従二位[11][19]

1919年(大正8年)10月20日 - 正二位[11][20]

勲章など


1894年(明治17年)10月13日 - 勲四等旭日小綬章[11]

1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章[21]

1892年(明治25年)11月29日 - 勲三等瑞宝章[22]

1895年(明治28年)

8月20日 - 功三級金鵄勲章旭日中綬章[11][23]

11月18日 - 明治二十七八年従軍記章[11][24]


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