2016年(平成28年)11月18日、JR北海道は厳しい経営状況を理由に「自社単独で維持することが困難な路線」として、10路線13区間を発表した[報道 3]。本路線は「自社単独では老朽土木構造物の更新を含め『安全な鉄道サービス』を持続的に維持するための費用を確保できない線区」とされ[報道 3]、今後は経費節減や運賃値上げ、利用促進策、上下分離方式への転換などを軸に沿線自治体と協議する予定とした[報道 4]。
なお、北海道による総合交通政策検討会議が2018年(平成30年)2月10日に発表した『北海道の将来を見据えた鉄道網(維持困難線区)のあり方について』では「観光客の利用だけで鉄道を維持していくことは難しいことから、関係機関が一体となって、観光路線としての特性をさらに発揮するよう取組を行うとともに、地域における負担等も含めた検討・協議を進めながら、路線の維持に最大限努めていくことが必要と考える」としている[報道 5]。
歴史
北海道官設鉄道
1899年(明治32年)
9月1日:北海道官設鉄道十勝線(とかちせん)として、旭川駅 - 美瑛駅間が開業[2]。同区間に辺別駅、美瑛駅[7]を開設。
11月15日:十勝線の美瑛駅 - 上富良野駅間が延伸開業[2]。同区間に上富良野駅を開設[7]。
1900年(明治33年)8月1日:十勝線の上富良野駅 - 下富良野駅間が延伸開業[2]。同区間に中富良野駅[7]、下富良野駅[8][7]を開設。
国有鉄道
十勝線→釧路線
1905年(明治38年)4月1日:十勝線の旭川駅 - 下富良野駅( - 落合駅)間が逓信省鉄道作業局(国有鉄道)に移管[9][3]。旭川駅の読みを「あさひかわ」から「あさひがわ」に変更。
1909年(明治42年)10月12日:国有鉄道線路名称制定に伴い、十勝線と釧路線が統合され、旭川駅 - 下富良野駅( - 帯広駅 - 釧路駅(後の浜釧路駅))間が釧路線(くしろせん)となる[新聞 4]。
富良野線
1913年(大正2年)11月10日:滝川駅 - 下富良野駅間 (57.6 km) が開業し[3][4][新聞 1]、滝川駅 - 下富良野駅 - 帯広駅 - 釧路駅(後の浜釧路駅)間が釧路本線(くしろほんせん)に改称[3][4][5]。これに伴い、旭川駅 - 下富良野駅間 (54.8 km) が釧路本線から分離され、富良野線(ふらのせん)に改称[2]。
1926年(大正15年)
5月24日:十勝岳の噴火により発生した泥流の影響で不通となる。同年5月28日、運転再開[10]。
9月10日:美瑛駅 - 上富良野駅間に美馬牛駅を開設[7]。
1936年(昭和11年)9月10日:西神楽駅 - 美瑛駅間に千代ヶ岡駅を開設[7]。
1942年(昭和17年)
4月1日:下富良野駅を富良野駅に改称[11]。
10月1日:辺別駅を西神楽駅に改称[11]。
日本国有鉄道
1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体日本国有鉄道(国鉄)に移管。
1958年(昭和33年)
1月25日:客貨混合列車を廃止し、客貨分離達成[2]。同時に気動車の運行を開始[2]。
3月25日:旭川駅 - 西神楽駅間に神楽岡駅[2][7]、西御料駅[2][7]、西瑞穂駅[2][7]、西神楽駅 - 千代ヶ岡駅間に西聖和駅[2][7]、千代ヶ岡駅 - 美瑛駅間に北美瑛駅[2][7]、上富良野駅 - 中富良野間に西中駅[2][7]、中富良野駅 - 富良野駅間に鹿討駅[2][7]、学田駅[2][7]を開設。
10月1日:全ての列車が気動車による運転となる[2]。
1962年(昭和37年)5月1日:旭川駅 - 釧路駅間(富良野線経由)に急行「狩勝」新設[2]。
1974年(昭和49年)7月19日:無煙化達成。