富山敬
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愛煙家でもあり、1日に3箱吸っていたこともあったという[22]

趣味は川釣りレコード鑑賞。

好きな言葉は「やさしさ」。その一方、演者としては「これからは悪役もやってみたい」と語っていた[4]

「敬」という芸名に関しては、特別な意味はなく本名の「邦親」が難しい字だったため、変えたという[9]

私生活では、1973年に劇団の事務員と結婚[2]。1978年時点で娘と双子の息子がいた[2][4][23]。仲間内では愛妻家として知られていたが、1993年末に死別[18]。そのため、自身が亡くなった際は父親が喪主を務めた。
人物評

声優界きっての人格者で、非常に腰が低いことで知られていた。

小原乃梨子勝田久は追悼インタビューで「万事控えめな性格で、それはどんなに人気者になろうと変わらなかった」と評し[18]、後輩の古谷徹は「誰にでも優しくて、業界の先輩後輩から好かれ尊敬されている人だった」と語っている。『宇宙戦艦ヤマト』で共演した麻上洋子は新人の頃から富山に面倒を見てもらい、NGを出した時も「大丈夫だよ」と慰められ、声優としてやっていく事ができたと語っている。

富山の人柄の良さを表すエピソードとして、次のようなものがある。池田秀一堀内賢雄のマネージャーと酒を飲んでいる最中に「賢雄に電話しろ」という話になったが、堀内のマネージャーは誤って富山へ電話をかけてしまう。池田は酔っていたせいで間違い電話と気づかず、先輩の富山に対して「俺だよ、池田だよ」「なに気取った声出してるんだ」「○○で飲んでるから、今から出て来いよ」などと軽い口調で喋ってしまうが、富山は「割と近くね、でも明日早いから行けないの」と終始冷静だった。しばらくして、おかしいと気づいた池田が「どちら様ですか?」と質問すると「富山敬です」と返ってきたので、慌てて「失礼いたしました」と謝罪。それに対して富山は「行きたいんだけどね、ごめんね、今度ゆっくり飲もうよ」と優しい言葉をかけたという[24]

青野武によると、青野が酔っ払って酒場で他の客と殴り合いのケンカを起こした際、一緒に飲んでいた富山はケガをした青野を家まで連れて帰り、朝まで介抱してくれたという[18]

羽佐間道夫は、普段吹き替えやナレーションを中心に活動していたため『銀河英雄伝説』でアニメのアフレコに慣れていなかった時、富山に「今、ここで出るんですよ!」「今の台詞は、あそこで切った方がいいんじゃないですか?」と色々教えてもらったという。羽佐間は芸歴や年齢は富山より上だが、「『銀河英雄伝説』では彼が自分の師匠だった」と述懐している[25]

一方、親友の富田耕生は「かなり我慢強い性格」だと語り[22]、プライベートにおける悩みは尋常なものでは無かったようである。なお、このことに関して富山自身はあるインタビューで「そりゃ僕だって欲求不満がたまりますよ」と笑いながら語り、仕事(役作りへの没頭など)や飲酒でそれらの不満は発散しすぐに忘れてしまう、と答えたことがあった[23]
後世への影響

富山に憧れこの道を志した、あるいは影響を受けたと語る声優は多い。

神谷明は「多大な影響を受けた人物」、古川登志夫は「この方のような軽妙な演技ができるようになりたい一心で、演技は元より、シャツからセーターからブルゾンから眼鏡までなんでも真似した」[26] と語っている。

井上和彦は、2021年に「技術No.1声優」を尋ねられた際に「すごく憧れた先輩」として富山を挙げ、声を変えずに役を演じ分けることや、『レインマン』の吹き替えで主演した際に一度のリハーサルだけで本番の収録を終えてしまったことの凄さを語っている[27]

飛田展男小野健一は目標とする役者に富山を挙げている[要出典]。水谷優子[18]杉山紀彰も尊敬する人物は富山だと答えている。森功至郷田ほづみは、富山の影響で声優の道を志したとも語っている。同じ事務所所属だった小原は、「(バオバブ)社内での人気投票ではいつも(富山が)1位だった」と追悼インタビューで語っている[18]

没後も、声優界では当時の共演者やファンをはじめ定期的に名前が挙がる存在であり、2006年には「死して、なお愛され続けるプロの声」と評された[28]

先述の通り、2007年には第1回声優アワードで特別功労賞を受賞。授賞式では、生前に所属したぷろだくしょんバオバブの清水百合恵社長(当時)が代理で賞を受け取った。2008年の第2回以降は、同アワードの一部門として富山の名を冠した「富山敬賞(第18回以降は富山敬・高橋和枝賞)」が設立され、「その年に声優という職業を最も世の中に浸透させた功労者」に対して贈られることとなった[注釈 3]
エピソード
出演作に関して

初の主演作となった『佐武と市捕物控』の佐武役は、1978年に一番思い出深い出演作として挙げている。また、当時は大人向けを意識したものの視聴率の問題などで実現できなかった部分があり、スタッフに再会するとその都度「ちゃんと大人の鑑賞に堪えうる作品」にしての続編やリメイクを切望していたという[4]

タイムボカンシリーズ」では、「説明しよう!」で始まるナレーターをはじめ、おだてブタ、ささやきリポーター等多くのキャラクターを担当。このうち『逆転イッパツマン』では、主役のイッパツマン(豪速九)の声を担当した。また作中では、富山自身をモデルにデザインされた「トミー・ヤマ」というキャラクターも登場した。『ゼンダマン』には、一度だけ富山の娘がゲスト出演したことがある。

洋画吹き替えでは、持ち役のリック・モラニスをはじめ、ロディ・マクドウォールマーティン・シーンスティーヴ・マーティンウディ・アレンウィリアム・カットエディ・マーフィデニス・ホッパーチャールズ・マーティン・スミスジョン・ハードジェームズ・ベルーシアントニオ・ファーガスなどを担当していた。

吹き替えは、常に「映画を日本語で視聴者により深く理解してもらうための手助けの役割だ」と心にとめていた[10]。自身が吹き替えを担当する俳優は「皆演技がうまいため、安心してアテられていた」とする一方、表情が乏しい俳優の場合は苦労したという[10]

富山がエディ・マーフィを吹き替えた『ビバリーヒルズ・コップ』(テレビ朝日版)は同業者間でも評価が高く、例として花輪英司(後に『超音速攻撃ヘリ エアーウルフ』のコンプリート ブルーレイBOX追加収録部分で富山の代役を務めた)は「俺のバイブル」と称し、DVD収録を熱望していることを自身のTwitterで明かすなど、現在もなお根強く支持されている[29][30][31][32]

ちびまる子ちゃん』のさくら友蔵役はオーディションではなくオファーで決められた。担当スタッフによると、当時50歳を過ぎたばかりの富山にとって相当な老け役だったため断られるのではないかと懸念していたが、いざオファーを出すとすんなり了承してくれたという[33]

銀河英雄伝説』のヤン・ウェンリー役に関しては、反対に富山が当時青年役をほとんど演じていなかったことから音響監督の明田川進が難色を示し、富山のイメージに近い若手でオーディションを行なったものの該当者が見つからなかったことで、最終的に富山を起用することになった[34]。富山自身も、当時ファンから二枚目の主役を演じて欲しいという要望を受け取ってはいたが、多くの後進が台頭する中で世代交代を意識していたため最初はかなり抵抗があったという。だがその後、ファンからの励ましの手紙をもらい嬉しかったといい、次第とその気になり抵抗がなくなったと語っている[16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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