富山敬
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1957年東北放送ラジオドラマ『源九郎物語』の竹丸役で声優デビュー[9]。当時、声優業は俳優たちの副業であり、富山自身も最初は芝居や生活の資金稼ぎのため行っていた[4][10]

1965年、東京都新宿区四谷の喫茶店でウェイターをしていたが、店に入った劇団葦時代の先輩であった千葉順二の誘いで河の会へ所属[2]。当時の河の会が吹き替え出演などマスコミ関係の仕事が主体だったことで、富山も声優業を本格的に始めることとなった。所属後しばらくは端役を多くこなし、ひと月に30本出演したこともあったという。同年には『鉄人28号』にて、毎回役の違う脇役ではあるがセミレギュラーを獲得[2][14]

1968年オーディションで『佐武と市捕物控』の主人公・佐武の声に抜擢(ばってき)され初主演を飾る[2][注釈 2]。吹き替えでの初めての主役は映画『草原の輝き』のウォーレン・ベイティの吹き替えとなる[10]。以降は1969年に『タイガーマスク』で主人公・伊達直人を、『男一匹ガキ大将』の戸川万吉を演じる[2][10]などアニメーションでの主演が増え、富山自身の人気も高くなる。

1974年、『宇宙戦艦ヤマト』にて主人公の古代進を演じる[2][10]。同作のヒットも伴い、富山は多数の人気声優ランキングで上位を飾るなど人気を不動のものとした[14]。この頃からしばらくはレギュラー出演の週平均が4?5本であり、単発の出演や関連する仕事を含めると、休日がほぼとれない状態だったという[4]

1976年、河の会解散に伴い青二プロダクションへ移籍[4][10][15]

1979年富田耕生らと青二プロダクションを退所し、ぷろだくしょんバオバブを立ち上げる。同時期には2枚のアルバムをリリースし、1980年にはバオバブ所属声優で結成した劇団がらくた工房(現:劇団すごろく)にて約10年ぶりに舞台活動も再開した[14]

1980年代に入ると富山は世代交代を意識するようになったといい、主演の機会は減ったものの、引き続き多くの作品に出演[16]。『ゲゲゲの鬼太郎(第3作)』のねずみ男役や『それいけ!アンパンマン』のSLマンなど、さまざまな役を担当した。

1990年代には『ちびまる子ちゃん』で、主人公のまる子の祖父・さくら友蔵の声を担当したほか、SFアニメ『銀河英雄伝説』シリーズで主人公のひとりであるヤン・ウェンリーを長期にわたり担当し、結果的に富山の晩年を代表するキャラクターとなった。
死去

1995年8月18日、『ちびまる子ちゃん 第2期』第37話「呪いの貸本」の巻(同年9月17日放送[17])を収録。これが生前最後の仕事となった[18]

同年8月21日、「最近どうも目の調子が悪い」と訴え病院へと足を運んだ結果、末期の膵臓癌と診断され入院[18]。人気声優としての多忙に加え、それまで「休んだらみんなに迷惑がかかるから」と仕事を優先していたことが災いして癌の発見が遅れてしまい、診断時点で既に手遅れの状態だったという。

同年9月25日午前9時7分、膵臓癌のため東京都新宿区東京医科大学病院で死去[1][18]。56歳没。9月30日に告別式が行われ、声優仲間やファンら約1300人が出席した。

2007年、第1回声優アワードにて特別功労賞を受賞した。
特色・人物

声種ハイバリトン[19]。没後に「どんな役をやってもはまる、すぐに役をつかむ天才的な役者だった」と評されている[18]

第1次から第2次にかけての声優ブームの立役者の1人と評され、井上真樹夫神谷明と共に「声優御三家」と呼ばれていた[14][20]。その中でも富山の人気は群を抜いて高かったという[14]。また、人気絶頂の頃にはファンレターが年に約5000 - 6000通届いていたという[21]

声優界屈指の酒豪で知られていた。普段は洋酒が多く、ロックのダブルで8杯ほど飲んでいたという[4]日本酒では新潟の銘酒久保田を愛飲していた。

愛煙家でもあり、1日に3箱吸っていたこともあったという[22]

趣味は川釣りレコード鑑賞。

好きな言葉は「やさしさ」。その一方、演者としては「これからは悪役もやってみたい」と語っていた[4]

「敬」という芸名に関しては、特別な意味はなく本名の「邦親」が難しい字だったため、変えたという[9]

私生活では、1973年に劇団の事務員と結婚[2]。1978年時点で娘と双子の息子がいた[2][4][23]。仲間内では愛妻家として知られていたが、1993年末に死別[18]。そのため、自身が亡くなった際は父親が喪主を務めた。
人物評

声優界きっての人格者で、非常に腰が低いことで知られていた。

小原乃梨子勝田久は追悼インタビューで「万事控えめな性格で、それはどんなに人気者になろうと変わらなかった」と評し[18]、後輩の古谷徹は「誰にでも優しくて、業界の先輩後輩から好かれ尊敬されている人だった」と語っている。『宇宙戦艦ヤマト』で共演した麻上洋子は新人の頃から富山に面倒を見てもらい、NGを出した時も「大丈夫だよ」と慰められ、声優としてやっていく事ができたと語っている。

富山の人柄の良さを表すエピソードとして、次のようなものがある。池田秀一堀内賢雄のマネージャーと酒を飲んでいる最中に「賢雄に電話しろ」という話になったが、堀内のマネージャーは誤って富山へ電話をかけてしまう。池田は酔っていたせいで間違い電話と気づかず、先輩の富山に対して「俺だよ、池田だよ」「なに気取った声出してるんだ」「○○で飲んでるから、今から出て来いよ」などと軽い口調で喋ってしまうが、富山は「割と近くね、でも明日早いから行けないの」と終始冷静だった。しばらくして、おかしいと気づいた池田が「どちら様ですか?」と質問すると「富山敬です」と返ってきたので、慌てて「失礼いたしました」と謝罪。それに対して富山は「行きたいんだけどね、ごめんね、今度ゆっくり飲もうよ」と優しい言葉をかけたという[24]

青野武によると、青野が酔っ払って酒場で他の客と殴り合いのケンカを起こした際、一緒に飲んでいた富山はケガをした青野を家まで連れて帰り、朝まで介抱してくれたという[18]


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