富士川の戦い
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その他、小山朝政下河辺行平そして豊島清元葛西清重父子にも参陣するよう求めた。千葉常胤はただちにお迎えするとの返事を寄こし、挙兵して下総国府を襲い、平家一族の目代を殺したが(結城浜の戦い)、房総半島に大きな勢力を有する上総広常の向背には不安があった。9月13日10月3日)、頼朝は300騎を率いて安房国を出立した。17日10月7日)に頼朝は下総国府に入り、千葉常胤が一族を率いてこれを迎え、千葉氏の300騎を加えた。19日10月9日)に武蔵国と下総国の国境の隅田川に達したところで、上総広常が2万騎の大軍を率いて参陣した。

29日19日)の時点で、諸国の兵が集まり、2万5000余騎に膨れ上がっていた。

10月2日10月22日)、頼朝は武蔵国へ入り、豊島清元、葛西清重、足立遠元河越重頼江戸重長、畠山重忠らが続々と参じた。頼朝の軍は数万騎の大軍に膨れ上がり、何らの抵抗を受けることなく10月6日10月26日)に源氏累代の本拠地・鎌倉[注釈 1]に入った。
甲斐源氏の挙兵

治承4年8月頃には武田信義安田義定一条忠頼ら甲斐源氏が挙兵して甲斐国を制圧した(『山槐記』)。8月25日には、石橋山で頼朝を破った大庭景親の弟俣野景久と駿河国目代が安田義定らと波志田山にて交戦した(波志田山合戦吾妻鏡』)。駿河国へ侵攻し、10月14日11月3日)に富士山の麓で目代橘遠茂の3000余騎を撃破した(鉢田の戦い『吾妻鏡』)。鎌倉幕府による後年の編纂書である『吾妻鏡』では、甲斐源氏に対して頼朝は北条時政、加藤景廉らを派遣して、その指示のもとに行動していたように記されているが、これは後世の幕府による創作であり、甲斐源氏は頼朝とは別に以仁王の令旨を受けて挙兵しており、この時期に頼朝の指揮下に入る理由がなく、そもそも維盛の追討軍の目的は頼朝ではなく、甲斐源氏であったという見方もある[2]
追討軍の編成

頼朝挙兵の報は、9月1日9月21日)に大庭景親より福原へもたらされた。5日25日)に平清盛は追討軍を関東へ派遣することを決定する。

追討軍の編成は遅々として進まず、平維盛忠度知度らによる追討軍が福原を出立したのは22日10月12日)であった。に入っても総大将の維盛と次将(参謀役)の藤原忠清が吉日を選ぶ選ばぬで悶着があり、京を発したのは29日(10月19日)になってしまった。

平家方が時間を空費している間に頼朝は関東で勢力を回復し、甲斐国では甲斐源氏が、信濃国では源義仲が挙兵した。

追討軍は進軍しながら諸国の「駆武者」をかき集めたことで7万騎(『平家物語』)の大軍となるが、所詮は寄せ集めであり、折からの西国の大飢饉で兵糧の調達に苦しみ、士気は非常に低かった。
三者の布陣

この項の以下の日付は吾妻鏡による。

10月13日11月2日)、追討軍は駿河国へ入った。

10月14日11月3日)の鉢田の戦いにて甲斐源氏は駿河の平氏方現地勢力を撃破する。

16日5日)に頼朝は平氏軍を迎え撃つべく鎌倉を発する。

17日11月6日)に武田信義は維盛に挑戦状を送りつけ、「かねてよりお目にかかりたいと思っていましたが、幸い宣旨の使者として来られたので、こちらから参上したいのですが路が遠く険しいのでここはお互い浮島ヶ原で待ち合わせましょう」という不敵な内容に侍大将の伊藤(藤原)忠清が激怒し、使者は斬らない兵法は私合戦に置いての事で、官軍には適用されないとして使者2人の首を斬った(『山槐記』『玉葉』『吉記』)。同日頼朝は相模国豪族波多野義常を討つために派兵する(『吾妻鏡』)

10月18日(11月7日)に大庭景親は1000騎を率いて駿河の維盛の軍に合流しようとするが、頼朝または甲斐源氏に行く手を阻まれ、相模国に留まった後、軍を解散し逃亡した。景親は後に頼朝に降参するが許されず、斬られている[注釈 2]

2万余騎の甲斐源氏の軍勢は10月18日11月7日)に布陣した。同日夜頼朝は黄瀬川沿いに布陣した。

10月19日11月8日)、伊豆から船を出して維盛と合流しようと図った伊東祐親・祐清父子が捕らえられた。

10月23日11月12日)には、頼朝追討軍に従事していた印東常茂上総広常に討ち果たされた。これにより、房総平氏は広常の許で統一されることになった。

大庭氏、伊東氏、駿河豪族などの在地親平氏勢力の壊滅や坂東などの豪族たちが雪崩をうって頼朝らについたという状況は、在地勢力による反乱軍への初期対応を戦略の一貫に組み込んでいた平氏方の構想を挫くことになった。
平家の撤退

玉葉によると18日吾妻鏡によると20日、甲斐源氏の兵は富士川の東岸に進む。また、『吾妻鏡』によると頼朝は駿河国賀島に進んだとある[注釈 3]


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