寄席
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

明治から大正にかけての時期には、寄席で源氏節、八木節安来節[注釈 8][注釈 9]の全国的流行、関西においても河内音頭などが寄席の舞台に登場した。

上席下席の月2回入れ替え制だったものが、客の休日環境の変化[注釈 10]1921年(大正10年)6月、現在に至る10日間興行に変わる。

1926年(大正15年)当時の東京市内の寄席については、日本芸術文化振興会により、ネット上に地図が公開されている[16]

寄席名の後に「亭」や「席」をつけて呼ぶことが一般的であった。
上方の寄席(吉本による独占・チェーン化)

戦前に関西地方にあった落語の主な寄席は以下である。

桂派の定席の寄席

金沢亭(大阪・ミナミ法善寺)

幾代亭(大阪・
船場淡路町)

林家亭(大阪・岸和田大工町

瓢亭(大阪・西区新町)


三友派の定席の寄席

紅梅亭(大阪・ミナミ法善寺

此花館(大阪・平野区

永楽館(大阪・北新地

賑江亭(大阪・堀江


花月派(吉本興行部)

第二文芸館(大阪・北区天神橋)

芦辺館(大阪・松島)

龍虎館(大阪・福島)

松井座(大阪・梅田)

都座(大阪・天神橋筋)

大正に入り吉本興業は多くの寄席を(紅梅亭や賑江亭等)買収し名前に「花月」を付けた。大阪だけでも20あまりの寄席を買収、京都、神戸、名古屋、横浜、東京等にも寄席を展開した。上方大阪)では明治時代から昭和初期の大阪市内、特にミナミ法善寺周辺には、北側に三友派の象徴であった「紅梅亭」、南側に桂派の象徴であった「南地金沢亭」(後に吉本興業(以下、吉本)が買収し「南地花月」)が存在ししのぎを削った。浪曲は、1907年(明治40年)桃中軒雲右衛門の関西巡演までは「浮かれ節」と呼ばれ、明治前半には浮かれ節専門の寄席(天満・国光席、松島・広沢館、千日前・愛進館など)が既に存在した。

他にもキタ北新地の「永楽館」(後に吉本傘下に入り「北新地花月倶楽部」)はじめ、上本町堀江松屋町新町松島大阪天満宮界隈などに十数軒の落語専門定席が存在していた。その後吉本が寄席でいっそう漫才主体の番組構成をとったことや、桂春団治など落語家の専属契約を推し進め、自社の経営する寄席である「花月」のみの出演としたことなどから、上方落語の寄席文化は壊滅的打撃を受けた。
ラジオの登場・エンタツアチャコ

この節の加筆が望まれています。 (2021年11月)

戦後は上方落語の復興機運が高まるとともに、ミナミ戎橋松竹が開場(千土地興行(後の日本ドリーム観光)が経営)。大阪唯一の落語中心の寄席として人気を博した。1957年に経営難から閉鎖された後は、大阪では地域の有志が寺や公民館、蕎麦屋などを会場に「地域寄席」という形で寄席文化を継承してきた(「田辺寄席」「岩田寄席」など)。その後六代桂文枝など落語関係者一同の長年の復活への努力が実って、2006年9月15日に大阪天満宮横に半世紀ぶりの寄席となる「天満天神繁昌亭」が開場した。
東京・大阪以外

横浜には、多数の寄席が存在し[17]しのぎを削っていた。関東大震災の際には京浜間の寄席で出演者、席亭側、客側それぞれに甚大な被害があったことが知られる[注釈 11]。後に消滅し、現在は2002年(平成14年)4月に横浜市が建てた横浜にぎわい座がその機能を継承している[18]

芸どころ[注釈 12]名古屋市大須演芸場は、出演者側の支持が厚く、閉鎖の危機を幾たびも乗り越えながら存続し続けてきた。2014年2月3日に強制執行を受け一時閉鎖[19]、その後家主の手で改修工事が行われ、運営体制を一新して2015年9月22日に再開された[20][21]

神戸には戦後も神戸松竹座があったが1976年に閉鎖された[22]。2018年7月に42年ぶりの寄席となる神戸新開地・喜楽館がオープンし[23]、天満天神繁盛亭に次ぐ上方落語の定席となっている。

全国的には、おおむね各県庁所在地ごと程度に寄席が分布した[注釈 13][注釈 14]。今はテーマパークで有名な漁師町・浦安にも寄席が二軒存在し、芸に厳しい浪曲の難所として全国の浪曲師に名を響かせた[注釈 15]

北海道にも明治から昭和初期まで多くの寄席が存在した。現在は2代目桂枝光が中心となった地域寄席「平成開進亭」、「だるま十区(旧:狸寄席の会(狸小路に常設演芸場を作る会)[24]」などが地域の落語会として定期的に公演を行っているが、2019年時点で常設の寄席は存在していない。

仙台には明治から大正にかけて寄席が存在したが消滅し、平成に入ってから不定期に寄席が行われていた。2016年頃から定席を復活させる計画がスタートし[25]、2018年4月1日に落語芸術協会仙台事務所により花座がオープンした[26]

九州は、博多で2007年から六代目三遊亭円楽プロデュースによる「博多天神落語まつり」が毎年11月に開催されている。その後、2021年に出身地の北九州に移住した橘家文太が改造トラックで出前寄席を開催したり、同年に博多らくごカフェ笑庵がオープンするなど落語を聴く場は増えてはいるが、常設の寄席の開設には至っていない。

他地域も、地域の落語会として開催されている「寄席」は多数存在するが、意味としては「落語会」との区別は特にされていない場合が多い。
寄席で用いられる道具・用語

高座(板):寄席の舞台の事。

定席:1年中落語が聞ける所。狭義には新宿末廣亭、上野鈴本演芸場、池袋演芸場、浅草演芸ホールの4か所。

上下(かみしも):高座の右側、左側。客席から舞台を見て右が上手(かみて)左が下手(しもて)。

めくり:出演者の名前を書いた紙の札の事。高座の下手に置かれることが多い。

トリ:主任。興行の最後に高座に上がる人。本来は、その興行の給金を分配する人のこと。

寄席文字(寄席字):めくりに書く文字の書体。紺屋栄次郎が歌舞伎の勘亭流と提灯文字を元に字体を作る。橘右近により存続し、寄席文字橘流家元を名乗る。

(のぼり):寄席や会場入口付近に立てられる、出演者の名前が書かれた大きな旗。

行灯(あんどん):主な出演者を知らせるため、入り口付近に掲げられた提灯。

出囃子:寄席の出演者が高座に上がる際に演奏される音楽。寄席ではお囃子さんが実際に演奏をしている。ホール落語等ではCDなどの音源が使われることも多い。

下座(お囃子):出囃子を演奏する人。噺の種類によっては、噺の途中のBGMを演奏をすることもある。

木戸口:寄席の入り口。見世物小屋や昔の芝居小屋と入場口の形態は同様であった。

木戸銭:入場料のこと。

:一日毎の客の入りと演者の格に応じて支払われる給金。

席亭:寄席の運営者や経営者の事。(浅草演芸ホールでは「社長」。)もともと席亭とは寄席自体を指し、主人を席亭主(または席主)と呼んだものが省略された。

お茶子:(上方の寄席特有の)楽屋で芸人を世話する役目の女性。高座で座布団をひっくり返す事も。

もぎり:入り口でチケットの半券を切る人。

下足番(げそくばん):脱いだ履物の番をする人。畳敷きの客席が大半だった時代にあった役目。評判を多く聞くことから番組編成権を持つことも多かったという。

五厘:席亭と芸人の間で出演を仲介する人(ブローカー)。割のうち、5厘を天引きしたためそう呼ばれた。他に寄席の事務員または会計士の意味として呼ばれる事もあった。現在の芸人事務所の事。

金ちゃん:客の事。

つ離れ:(ひとつ、ふたつ、と数えると、ここのつ、とお、と10を超えると「つ」が付かなくなる事から)客数が一桁でなくなること。

1足(そく):百(人)をそく、と言い換えて客数が百人くらいのこと。

主な寄席


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:132 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef