ある学問・技術などが、特定の氏族のみに帰属し、他の氏族が持たない場合があったが、そのような場合、その学問・技術などは、一代で終わらせてしまうのではなく、子孫が継承することで存続させるべきであるという観念が自然に発生した。学問・技術が、二代、三代、四代、、、と無事に継承された場合、特定の一族で継承される「家業」として定着するようになった。
文化の分野では、華道や茶道などの「道」と呼ばれるある種の技能体系が、やはり世代を越えて継承されるようになり、「家道」と呼ばれるようになった。これらの「道」の分野の世代間継承では、知識・技能(知的財産)それ自体だけでなく、権威性(ネームバリュー、ブランド、商標権)や、一門(弟子らの組織)と彼らを監督する権限(ある種の経営権)などが、ワンセットで子孫に継承されることになり、後の「宗家」や「家元」制度(ある種の永続的事業システムや法人システム)につながっていくことになった。
江戸時代の公家社会ではそれぞれの家が、自己の財政維持のための収入確保の意味も含めて先祖伝来の学問・芸術を家業化していき、同時にその家業をもって朝廷に奉仕することで家職化していった。また、江戸幕府からも各公家に対して朝廷への奉仕の一環として家業への専念を求められた。ただし、新家創設や旧家再興(当主急死による養子縁組も含む)の家業の扱いについては不明な点もあり、今後の研究課題とされている[4]。
出典^ a b c d e 『歴史学事典第8巻』山口和夫、弘文堂、2001年、83頁。
^ a b c d 吉村哲哉、「1G01 グローバル・ニッチトップ企業の企業タイプの類型化(技術経営(事例・ビジネスモデル・事業化)(1),一般講演)