家族
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日本も生涯未婚率が2023年の推定値で男性が28.25%、女性が17.85%に達している[12]
核家族と拡大家族[ソースを編集]核家族アメリカ(1970年代)

家族はその成員によって、核家族と拡大家族とに分類される。「核家族 / 拡大家族」という分類法は、アメリカの人類学者ジョージ・マードックが用いた用語「nuclear family / extended family」という分類用語の訳語である[1]

核家族 - 夫婦のみ、または未婚のその子供によって構成される家族形態である[13]。夫婦どちらか片方のみと未婚の子供によるものもこれに含まれる。

拡大家族 - 核家族よりも多い成員から構成される家族であり、長男など家系を継ぐ子供の家族にその親が同居する直系家族や、両親と複数の子どもとその家族が同居する複合家族などが含まれる。

なお上の「核家族 / 拡大家族」という分類は一夫一婦制の場合に限られ、複婚が行われる場合は複婚家族という別の区分となる[6]

なお上で挙げた家族形態は時代や文化によって千差万別であり、一つの文化内においてさえ一般的なモデルは存在するもののすべて同じスタイルの家族というわけではない。日本では戦前までは直系家族が基本的な家族モデルとして想定されていたものの、戦後第二次世界大戦後)は核家族へと移行した。しかしすべてが核家族というわけでは当然なく、直系家族や大家族の家族も存在する[14]。しかし日本も含め、世界的に社会が発展するに従って家族の規模は縮小する傾向にあり、19世紀にはほとんどの国で1世帯の平均人員は5人前後だったものが、20世紀末には先進国では2.5人前後にまで減少した[15]。一方、発展途上国においては20世紀末においても家族規模の大きな国が多い[15]
出自集団[ソースを編集]

家族は多くの場合、出自を同じくする集団の中に包含されてきた。この出自集団は父母のどちらを重視するかによって、父系制母系制、そして双系制の3つに分かれる。父系制の場合家族は父系集団に属することになり、父方の姓や地位、財産を継承する。これに対し母系制は母方の出自をたどり、相続も母方によるものである[16]。母系制社会では一般に家庭内における父の権力は弱く、母が実権を握っていることが多いが、母系制社会においても女性が社会の実権を握っているわけではないことには注意が必要である。母系制社会では母方の伯父など母方男性の権力が強い。母方女性が社会権力を握る母権制社会は、かつてそのようなものが存在したと想像されたものの実在が確認されず、空想上の概念であると理解されている[17]。父系制・母系制が父母いずれか単独の出自集団に属するのに対し、双系制は家族はどちらの集団にも属しうるので、多くの場合どちらかの集団を選択することとなる[16]
リヒターによる病的家族の類型[ソースを編集]

ドイツの精神科医ホルスト・エバーハルト・リヒター(de:Horst-Eberhard Richter)はその著『病める家族―家族をめぐる神経症の症例と治療』(佑学社 1976年)において、患者の家族を以下のように類型化した。

劇場家族 - "よい家族" をお芝居のように演じている家族

要塞家族 - 自分たち以外はすべて敵とみなし、対抗することで絆を確認する家族

サナトリウム家族 - 互いに傷を舐めあうような家族

小此木啓吾による家族類型[ソースを編集]

精神科医の小此木啓吾は家族の心的問題に焦点を当てて次のように類型化している(『家族のない家庭の時代』ちくま文庫 1992年)。

コンテナ家族 - 容量が大きく、社会のストレス、不満を持ち帰っても、それを受容し、癒してくれるような家族

ホテル家族 - 家族全員がそれぞれに "お客" のつもりで、他者(自分以外)からサービスされることだけを求め、他者のために汗を流そうとしない家族

フェミニズムの視点から見た家族[ソースを編集]

『フェミニズム事典』(リサ・タトル(米国、1952年生)著、明石書店)は、「家族は、家父長制、および《女性に対する抑圧》を存続させる主要な制度である」との説明を採用している。(フェミニズムでは通常、家父長制という概念を通して家族の歴史を説明する。)
類型をめぐる学問的対立[ソースを編集]

M・アンダーソンは「今日の社会学では、たとえば「家父長制」という概念を説明するために、『些細な事実』を集積してきて類型化してしまいがちである。しかし単一の家族制度などは現実には存在せず、どの地域でも、あるいは歴史上のどの時点でも、家族類型などは存在しない」と説いた[18]エマニュエル・トッドはフレデリック・ル・プレーによって見出された家族類型というものがブリコラージュ(やっつけ仕事)であること認めつつ、完璧に一貫性ある類型体系を先験的に定義するのは不可能でもあれば無用でもあり、ほかの変数との対応関係に置くことができる形で記述するのを可能にする限りにおいて、類型化に意義があるとした[19]
西欧における家族[ソースを編集]ノルウェーの家族。1900年

エドワード・ショーターは中世ヨーロッパには家族愛は存在せず、性愛・母性愛・家族愛は近代になってはじめて家族に持ち込まれたとした[20]。この3つの概念は「性=愛=生殖」の一致を基本とする、いわゆる「近代家族」の理念的支柱となった[21]。「近代家族」は、18世紀後半以降の産業革命の中でヨーロッパにおいて生み出されたと考えられている。これは夫婦を中心とし、子どもに重点を置く核家族制で、生産の側面を持たず、男女の分業を特徴とするものであり、産業革命の進展とともにこのモデルは世界に広がった[22]。また、同時に家族は夫婦・親子の愛によって相互に結ばれるものというイデオロギーが成立した[23]
日本[ソースを編集]明治時代のある家族日本のある家族(1957年日本の家族、当時の淡路島民宿1980年日本の家族(2003年

日本では明治大正期は、夫婦が多くの子をつくり(子沢山)、親たちと同居し、大家族の割合が高かったが、昭和期には夫婦とその子だけで成る核家族、小家族の割合が増えた(つまり、ある夫婦から見て夫や妻の親とは住まない割合、あるいはある夫婦から見て、孫と一緒に暮らさない割合が増えた)。その後、そうした形態の家族の様々な弊害が認識されるようになり、ひとつの家屋の1階2階に分かれて微妙な「近さ」と「距離」を保ちつつ暮らす人々も増えるなど、家族の多様化や 家族の線引きの曖昧化が進んでいる。
日本の家族形態の変化[ソースを編集]
戦前から終戦までの歴史と変容

戦前の日本の家族は家制度に基盤をおき、地域社会はもとより国家とつながる「イエ」を形作っていた。「家制度」は16世紀に成立し[24]、「家」と「家父長制」の二つを大きな要素としていた。「イエ」という親族集団の一体的結合と継続的発展を重視し、家族の人々を「イエ」に従属する存在とみなした。家父長権の相続(家督相続)、本家・分家などの階層性、それらを対外部的にひとまとまり(ウチ)としてとらえる心性・制度であった。また、家はひとつの経営体でもあり、その維持と継続が最も重視された。このため、長子、主に長男は家にとどまって跡取りとなり配偶者をめとり、先代が死去すると代わって家長となった。「家を継ぐ」という観念がこの時代に発生したことからもわかるとおり、家は跡取りの単独相続であり、また財産は家長ではなく家そのものに属していた[25]。農村部においては、次男や三男など長男以外の男子や女子は、富農層では分家として財産の一部を分与され村内に一家を立てることもあったが、中農層以下のものは独立や婚姻によって村を離れることが多かった[26]。こうした家は地域集団や共同体の基本的な構成単位であり、周囲との密接な関係の上で存続していた[27]。一方離婚は比較的自由であり、この傾向は明治時代に入っても続いた。1883年には人口1000人あたりの普通離婚率が3.39となり、おそらく世界最高の離婚率となっていて、これは1896年の民法制定で離婚が抑制され激減するまで続いた[28]

明治時代に入り、1896年には民法が制定され、そのうちの第4編「親族」と第5編「相続」(いわゆる家族法)によって家制度および戸主権は強化・固定された[29]。ただし、理念的には直系家族が主とされていたものの、次男以下の独立家族が多かったことや父母の寿命が短かったことから、日本では戦前から比較的小規模な核家族が最も一般的な家族形態であり、1920年の時点で過半数の世帯が核家族化していた[30]。戦前の農村では大家族制度が主流であったという認識は(一部の地域を除き)誤りである。一方、大正時代に入ると都市部の新中産階級を中心に、ヨーロッパの「近代家族」の概念が普及した[31]


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