宮沢和史
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楽曲はロックがすべての下敷きになってはいるが、サンバケチャカリプソボサノヴァジャズソウルスカレゲエHR/HMパンク演歌ヒップホップテクノなど、あらゆるジャンルに造詣が深い。

ソロのシンガーソングライターとして楽曲発表、楽曲提供、著書それぞれ多数。以前、俳優としても活動し、ミュージカルやテレビドラマ、映画にも出演した。

妻は光岡ディオン(1994年に結婚)。3人の子供(二男一女)を授かり、長男は俳優でモデルの宮沢氷魚[1]、次男はアメリカで弁護士をしている[2]

2024年1月16日に、息子の氷魚が黒島結菜と事実婚関係にあること、黒島が妊娠中であることが氷魚の公式サイトおよび黒島のInstagramにより明らかにされた。和史から見れば孫の誕生となる予定だが、初孫かどうかは明らかでない。
人物

明治大学には一浪して入学している。現役時代、駒澤大学に合格していたが入学書類を紛失したため仕方なく浪人したと本人は語っている。ところが明治大学合格後にその書類が自宅から発見された。

明治大学の先輩に当たるビートたけしと誕生日が同じで大ファンでもある。

学生時代、レストランでアルバイト(調理担当)をしており、料理が得意である。

無類の釣り好きとして知られる。

2001年「島唄」がアルゼンチンで大ヒットしていることを宮沢は全く知らずインターネットを見たスタッフに知らされたという。カバーしたアルフレッド・カセーロも「島唄」の作者・宮沢に無許可でリリースしていたが、後に宮沢自身がアルゼンチンまで出向き、カセーロと2人で「島唄」を聴衆と共に現地で合唱した。

福岡ソフトバンクホークスのファンで、2003年の開幕戦(当時は福岡ダイエーホークス)にて始球式に参加した。2014年THE BOOM福岡の最終公演では、3年振りのホークス日本一を祝い公式球団歌 「いざゆけ若鷹軍団」を熱唱。

2005年に統合新設された甲府市立舞鶴小学校の校歌を作詞・作曲。

三線の棹に使われる黒檀の植樹活動をしている。
経歴
THE BOOMのデビュー

1986年11月、THE BOOMを結成。

1987年7月26日、歩行者天国で路上ライブ開始。

1988年12月18日、CBS・ソニーのオーディションに合格。1989年5月21日、シングル「君はTVっ子」・アルバム『A PEACETIME BOOM』でメジャー・デビュー。
「島唄」のヒット

1990年9月21日、3rdアルバム『JAPANESKA』で初めて沖縄音楽に触れる。前2作がスカロックなど、オーソドックスな音楽スタイルであったが、この時期から、バンドの音楽の方向性が著しく変わっていく。

1992年1月22日、4thアルバム『思春期』発表。本作で後の大ヒット曲となる「島唄 (オリジナル・ヴァージョン)」が初めて発表された。

1992年12月12日、「島唄」をウチナーグチで歌ったシングル「島唄 (ウチナーグチ・ヴァージョン)」を沖縄限定で発売。泡盛のCMタイアップ曲にも使用されヒットした。

1993年6月21日、かねてからシングル・リリースの要望が高かった「島唄 (オリジナル・ヴァージョン)」が発売となり、全国的な大ヒットとなる。

1993年12月31日、「第35回日本レコード大賞」で「ベストソング賞」を受賞。『紅白歌合戦』に出場、「島唄」をウチナーグチで歌う。
THE BOOMの活動休止?ソロ活動開始

1994年11月21日、6thアルバム『極東サンバ』を発表。これまでの沖縄音楽やアジアの音楽的要素から完全に脱却。以降、1997年初頭にグループとしての活動を一時休止するまでブラジル音楽に傾倒[注 1]。この頃の代表曲が「風になりたい」である。

1996年5月、念願であったTHE BOOMのブラジルでのコンサートを3都市で行う(4公演)。

1997年1月、表立ったTHE BOOMの活動を一時休止、各人ソロ活動に専念。9月10日、久石譲とのコラボレーション・シングル「旅立ちの時?Asian Dream Song?」を発表。本楽曲は『長野パラリンピック』のテーマソングとして制作され、『長野パラリンピック』の開会式で、同曲を披露した。
THE BOOMの活動再開

1999年、THE BOOMとして活動を再開。以後は局地的な音楽をアルバム・コンセプトにせず様々なジャンルに挑戦。

2000年、矢野顕子大貫妙子鈴木慶一奥田民生らと「Beautiful Songs」と題したコンサートを全国8ヶ所で敢行、ライブ・アルバムをリリース。2002年も再びコンサートを開催した。

2001年に、アルゼンチンアルフレッド・カセーロがカバーした「SHIMAUTA」大ヒット、日本でも話題に。国内は「島唄」をまとめたシングル「島唄 Shima Uta」がヒット。
GANGA ZUMBAの結成

2006年、新バンドGANGA ZUMBA結成。リーダーおよびボーカルを担当。同時に、THE BOOMとしての活動を休止。

2008年9月、ジルベルト・ジルの日本公演にて、スペシャル・プレゼンターとして参加。また、この頃にTHE BOOMとしての活動も再開。以後はTHE BOOMとGANGA ZUMBAの活動を並行して行なっている。

2013年11月、頚椎症性神経根症治療のため約4ヶ月の活動休止を発表[3]
THE BOOMの解散?ソロ活動の休止

2014年12月、THE BOOM解散。個々で音楽活動を継続。

2015年6月より、本格的なソロ活動として、弾き語りツアー 寄り道2015『連れづれなるままに…』開催。

2015年10月19日、翌2016年4月から那覇市沖縄県立芸術大学で講師を務めることが明らかになる[4]

2016年1月3日、同年春を目処に表舞台における歌唱活動の無期限休養を発表[5]
ソロ活動再開?現在まで

2017年1月7日、Twitterおよび公式サイトにて、歌唱活動を少しずつ再開していくことを発表[6][7]。2017年3月11日、震災チャリティ・イベント「The Unforgettable Day 3.11」で歌手活動復帰[8]

2018年夏、日本テレビTHE MUSIC DAY』、テレビ朝日ミュージックステーションウルトラFES』にソロとして初出演。THE BOOMでの出演以来、実に9年振りに同番組に出演となり、「島唄」を25年振りに披露した。その他、高野寛おおはた雄一らとライブを頻繁に行なっている。
ディスコグラフィー
シングル
Seven Days, Seven Nights(1998年2月18日)オリコン57位

ブラジル人・イン・トーキョー(1998年5月27日)オリコン77位

沖縄に降る雪(2001年11月7日)オリコン39位

コシカ/ひとつしかない地球(2005年4月20日)
「ひとつしかない地球」は、教育団体「ラボ・パーティ」のために書かれた楽曲。

午前0時の近景(2023年5月31日)配信限定

島唄 ?琉奏? / 宮沢和史 with 親川遥(2023年9月13日)配信限定

遠影 / 宮沢和史 with 藤巻亮太(2024年2月14日)配信限定

アルバム
Sixteenth Moon(1998年3月18日)

AFROSICK(オリジナル・ポルトガル語ヴァージョン)(1998年7月8日)
「MIYAZAWA」名義・全編ポルトガル語ブラジル発売盤

AFROSICK(1998年7月18日)
日本盤

AFROSICK(ポルトガル語ヴァージョン)(1998年11月16日)


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