役員は経営業務が優先されるため、開発業務は長年連れ添ってきた部下に任せ、開発現場からある程度離れた立場に退く形になった。代表取締役専務に昇格してからは、それが更に顕著となり、日本国内外の支社や取引会社を何度も往復したり、2週間に一度の取締役会の仕事に拘束されることとなる。しかし、代表取締役社長(当時)の岩田聡による「宮本さんは、可能な限り開発の現場にいるべきだ」との方針により、2006年発売の『ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス』の開発以降、情報開発本部長としてできるだけ開発業務に携われるよう体制が改められた。なお、宮本自身は、取締役の活動も「全体を捉えて単純化したものの見方ができるようになった」として、開発者視点において無駄とはなっていないと語っている[13]。
2019年には文化功労者に選定された[14][15]。宮本はこの受賞に対して「ゲームというジャンルに光を当ててもらえるのは光栄なことです」と述べたほか、「ゲームは大勢で作り、いろんなチームとも仕事をするので、個人で頂くというのがとてもてれ臭いです」と語っている。 1986年発売の『ゼルダの伝説』など初期のゲーム内では、姓の「本」の字を読み替えた「MIYAHON」と表記されており、ゲーム専門誌『ファミリーコンピュータMagazine』(徳間書店インターメディア)で担当していた読者コーナー「ゼルダの伝説Q&A」でも「MIYAHON」と名乗っていた。この「ミヤホン」という名前は後に愛称として用いられるようになり、稀に本人が使用することもある[注 1]。 スーパーファミコンにおける「LRボタン」や、NINTENDO64における「アナログスティック」のアイデアは宮本が提案したもので、現在では他社ハードのコントローラにも同様のものが搭載されている。 ゲーム内のムービー(演出による非プレイ時間)はあまり重視していない。元任天堂社長の岩田聡はこの理由を「ムービーを作っちゃったら『もう直せません』というのが、一番許せないようだ」と語っている。他社ハードでプリレンダリングムービーが注目されていた時期に開発が進められた1996年発売の『スーパーマリオ64』当時でも、周囲のスタッフがそれを感じ取り、リアルタイムデモの仕組みを作り上げていった[16]。後に、メディアからのインタビューで「現在の若者を中心としたユーザーに、映画的ゲームの物語で思想的メッセージを送るというスタンスは取らないのか」と質問された際は、「自分のような、ゲームを作り続けている人間(=クリエイターという職業)がいるという姿勢だけが伝わって、そこから何かを感じ取ってくれるユーザーがいれば、という信念で作っている」と答えている。 多人数同時プレイ(マルチプレイ)の要素を組み込んだゲームの制作に力を入れている。宮本の代表作であるアクションゲームの『マリオ』シリーズでは、1983年に制作された『マリオブラザーズ』以降マルチプレイは実装されていなかったが(『スーパーマリオブラザーズ』のように交互プレイのものはある)、長年の試行錯誤の末、『マリオブラザーズ』から約26年後の2009年に発売された『New スーパーマリオブラザーズ Wii』でようやくマルチプレイを実現した[17]。また、レースゲームに関して「いつか順位のないものをつくりたい」という考えを持っており[18]、自身が手掛ける『マリオカート』シリーズについては「レースゲームの顔をしたコミュニケーションゲーム」だとしている[19]。 宮本が制作するゲームでは主人公が喋らないことが多い[20]。ただ、『スターフォックス64』などのように、会話をする(ボイス演技がある)ことがゲーム性に関わる場合は言葉を発する[21]。スターフォックスであれば、説明書を読まずテキスト表示せずとも会話により「世界観」「人間関係」「操作方法」をプレイ中インタラクティブに理解出来る仕様になる。また、全体的な物語を作ることよりも主人公の周りに登場する人々の関係や存在感を描くことに興味があると語っている[22]。 1999年頃、ゲーム業界への参入を目指すマイクロソフトが任天堂を250億ドルで買収する計画があったが、任天堂は難色を示し断っている[23][24]。一方、マイクロソフトは個別に社員のヘッドハンティングを行ったが[25]、任天堂のゲームソフト開発の中心人物である宮本茂を「現在の給料の10倍」で引き抜こうとしたものの、宮本は「(任天堂には)仲間がいるから」と言って断ったとされている。 2000年代の宮本制作のゲームには、日常生活から着想を得ているものがある。2001年発売の『ピクミン』は自宅での庭いじりが、2005年発売の『nintendogs』は犬を飼い始めたことが、2007年発売の『Wii Fit』は体重測定を趣味にしていたことが制作のきっかけとなった[26]。1989年発売の『MOTHER』を共同開発して以来親交がある糸井重里はそうした姿勢について、町内会やPTAにまめに参加するなど普通の生活者としての完成度が高いために日常生活から面白さを発見するのがうまいのではないかと語り、宮本のことを「生活力の人」と評している[27]。 宮本には「アイデアとは複数の問題を一気に解決するもの」という持論がある。この言葉は元々宮本自身が明確に口にしたものではなかったが、宮本の仕事ぶりを近くで見ていた岩田聡がそうした姿勢を感じ取り、言語化して事あるごとに紹介したため世間に広まることになった[28][9]。また岩田は、宮本が標準的な消費者の感覚を持っているという点を指して「行動経済学を天然で使いこなしている」と評している[29]。 2020年のインタビューでは、宮本自身ゲームクリエイターと呼称される立場ではあるが、糸井が話していた「『クリエイターとかクリエイションというのはおこがましい』と。そう呼べるのは神様だけ。
人物・制作姿勢