宮操子
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宮は従軍日誌を毎日書いていたので[20]、それを元に執筆したと考えられる。第4回の1942年6月から12月は、大阪毎日新聞社の企画・後援によりベトナムインドネシアマレー半島をめぐる慰問であった[21]。これらの体験と帰還船に同船したイギリス人捕虜たちについて、宮は晩年の著作『陸軍省派遣極秘従軍舞踊団』で詳しく述べている [22]
戦後の舞踊活動

1944年 秋に研究所を一時閉鎖し福島に疎開していた宮と江口は、戦後1946年 藤原歌劇団公演「カルメン」の振付のために東京へ戻る[23]。舞踊活動を再開し、1947年 には戦後第1回目の新作発表公演として、伊福部昭作曲「イゴザイダー」を帝国劇場で上演した[24]。伊福部夫人の勇崎愛子 は 江口・宮舞踊団の踊り手で、深井史郎作曲「都会」などに出演していた[25]。1950年 (昭和25) 伊福部昭作曲『プロメテの火』を帝国劇場で上演、宮はゼウスに愛される美しいアイオの役を踊った。この作品はその後の10年間に100回近く全国を周って演じられた[26][27]

1965年 (昭和40) 宮は日本大学芸術学部講師となる。また「ダンスグループ宮」を結成し第1回および翌年の第2回公演で「タンゴ」ほかを踊る。1977年 (昭和52) に江口が77歳で没した後も舞踊の指導を続け、1997年 (平成9) には舞踊の動きを体系的にまとめた『動の美』を出版。前後してドイツ留学と戦地慰問を振り返った『陸軍省派遣極秘従軍舞踊団』を1995年 (平成7) に、更に自らの生い立ちから戦後の歩みまでの半生をつづった『みちゃ子が行く』を2004年 (平成16) に出版。2009年 (平成21) に102歳で没した[28][29][30]。墓所は泉岳寺
豹「ハチ」のエピソード詳細は「ハチ (ヒョウ)」を参照宮操子、ハチ、成岡小隊長

宮は1941年2月からの3回目の戦地慰問で中国を訪れた際、雨中の強行軍で無理をしたため高熱をだしてしまった。舞台を休んで臥せっていると、駐屯部隊の成岡正久小隊長が見舞いに訪れた。彼はひと月ほど前に捕獲した、生後間もないを連れてきた。親豹は逃げてしまったので、成岡が母親がわりに育てていたものだった。「ハチ」と名付けられていた赤ちゃん豹をあやすことで、病床の宮はみるみる回復していった。1週間ほどですっかり元気になった宮は、ハチと別れて慰問の行程を続けた[31]

1年ほど後に宮は、部隊の移動でハチを同行できなくなった成岡から、上野動物園でハチを引き取ってもらえないかと連絡を受けた。宮は知り合いの新聞記者を通じ動物園と連絡をとり、ハチは無事に上野動物園に引き取られた。しかし翌1943年8月、戦争が続いて食糧事情が悪化する中、ハチは他の動物たちと共に殺処分されてしまった。成岡はその直後に休暇で故郷に帰ってきたが、剥製にされていたハチと再会したのは戦後の事であった。成岡はこの顛末を『豹と兵隊』 (芙蓉書房, 1967) という本にまとめて出版した[32]。この本がNHKのドキュメンタリー番組で取り上げられ、ゆかりのある宮も出演して剥製のハチと再会している[33]
著書

戦野に舞ふ : 前戦舞踊慰問行 (鱒書房, 1942.1, 265p): 序文は陸軍中将
上村幹夫が、扉絵は同じく陸軍中将香取恭が寄せている[34][35]

自然を師とした新しい自然運動 (宮操子舞踊研究所出版部, 1970)

陸軍省派遣極秘従軍舞踊団 (創栄出版, 1995.8, 301p)[36]

動の美 : 自然が創み出した感動の人間の動きの源流 (リーベル出版, 1997.7, 186p)[37]

みちゃ子が行く : 踊った、生きた、冒険した (文芸社, 2004.4, 207p)[38]

脚注^ a b c 桑原, p62
^ 桑原和美「宮操子の半生と戦地慰問」 (就実論叢. 41号, 2011.2, pp61-81)。
^日本における現代舞踊の歴史 。一般社団法人現代舞踊協会 2019.9.29閲覧
^ a b c 桑原, p63
^ a b c d e 桑原 pp64-65
^ 西宮安一郎編『モダンダンス江口隆哉と芸術年代史 : 自1900年(明治33年)至1978年(昭和53年)』 (東京新聞出版局, 1989.11) pp114-150
^ 西宮, p167
^ 桑原 pp65-66
^ 西宮 pp175-176
^ 陸軍省派遣極秘従軍舞踊団 pp12-71
^ 桑原 pp66-67
^ 西宮 pp185-190
^ 陸軍省派遣極秘従軍舞踊団 pp77-94
^ 西宮 pp201-209
^ 桑原 p67-69
^ 西宮 pp209-289
^ 戦野に舞ふ pp3-113
^ 戦野に舞ふ pp117-219
^ 戦野に舞ふ pp211-265
^ 戦野に舞ふ pp146-147
^ 西宮 pp332-333
^ 陸軍省派遣極秘従軍舞踊団 pp223-301
^ 西宮 p369
^ 西宮 p380
^ 西宮 pp269-272, 283
^ 『《プロメテの火》アーカイヴ 1950-2016』の中の冊子掲載の解説(編著・製作:桑原和美、2017年6月19日発行)
^ 西宮 pp416-602
^ 現代舞踊家の宮操子さん死去|asahi.com 2009年5月10日 2019年9月30日閲覧。
^ 桑原 p78-79
^ 角圭子「自然を師とする宮操子」 (美の心 : 角圭子作品集. 本の泉社, 2010, pp267-270)
^ 陸軍省派遣極秘従軍舞踊団 pp199-204
^ “豹と兵隊 : 野性に勝った愛情の奇跡 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年12月1日閲覧。
^ 陸軍省派遣極秘従軍舞踊団 pp204-214
^ 戦野に舞ふ pp1-3
^ 戦野に舞ふ NDLデジタルコレクション 2019年9月28日閲覧。
^ “国立国会図書館オンライン 。National Diet Library Online”. ndlonline.ndl.go.jp. 2022年12月1日閲覧。
^ “国立国会図書館オンライン 。National Diet Library Online”. ndlonline.ndl.go.jp. 2022年12月1日閲覧。
^ “国立国会図書館オンライン 。National Diet Library Online”. ndlonline.ndl.go.jp. 2022年12月1日閲覧。

参考文献 

桑原和美「宮操子の半生と戦地慰問」 (就実論叢. 41号, 2011.2, pp61-81)。

西宮安一郎編『モダンダンス江口隆哉と芸術年代史 : 自1900年(明治33年)至1978年(昭和53年)』 (東京新聞出版局, 1989.11)

『《プロメテの火》アーカイヴ 1950-2016』の中の冊子掲載の解説(編著・製作:桑原和美、2017年6月19日発行)

角圭子「自然を師とする宮操子」 (美の心 : 角圭子作品集. 本の泉社, 2010, pp267-270)

関連項目 

江口隆哉

プロメテの火

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