1991年から2006年12月24日(有馬記念当日)まで、『ドリーム競馬』(FNS西日本ブロックネット番組)の関西テレビ放送制作分(阪神、京都開催時)の総合キャスターを務めた[4]。
2013年、ドラマ『半沢直樹』で、江島副支店長役(銀行支店長の腰巾着で、部下たちには横暴な態度を取り威張り散らすという役柄)で、新境地を開拓[4]。以後、善人から一癖も二癖もあるワルまで幅広く演じ分ける俳優となった[2]。
2021年には横浜市に自身が経営する「いち塾」を開校。通常の学習塾としてだけでなく芸能コースも併設し演技指導も行っている[5]。 中学2年か3年生の頃に見たドラマ『3年B組金八先生』第1シリーズで、小学校の同級生が出演していることに気づいた。これに刺激を受けて役者の仕事に興味を持ち、高校在学中に劇団「東京芸術学院」に入所[2]。同学院では、アメリカ的な自由な演技の気持ちや感情表現を教わった。このため、一般的な劇団がやる発声・滑舌の練習[注釈 1]などを教わることは全くなかった[2]。 両親からは当初、部活みたいな感じで芝居活動を許可されていたが、高校2年生の夏頃に将来を心配された。両親から「芝居は一旦辞めてとりあえず受験勉強しなさい。大学に入ってからもう一回やればいい」という話をされた。本人は劇団に入ったものの、レッスンばかりで役者の仕事は未経験だったため、「もうすぐ何かのオーディションに受かる気がするんだよね」などと言って両親を説得した[2]。 同年の秋、劇団に参加するよう言われて映画『家族ゲーム』のオーディションの面接に訪れた[2]。それまで10回ぐらいオーディションに落ち続けていたため、同作の面接でも「どうせ落ちるだろうな」との思いからやる気なく受答えをした。するとその生意気な感じが主人公・沼田茂之役のキャラにピッタリということで、思いがけず合格をもらえた[2]。 通っていた高校は非常に自由な校風だったため、俳優デビュー後の芸能活動も問題なかったという[2]。芝居の魅力に取り付かれてずっと役者を続けたいと考え、大学に行くにして演劇を学びたいとの思いから早稲田大学第一文学部演劇科に進学[2]。『家族ゲーム』以降20代半ばまでは、テレビ・映画と順調に出演を続けた[4]。 かなりの童顔で30歳を過ぎた頃に20歳に見えるほどだったが、このことは作品によって武器にもウィークポイントにもなった[注釈 2]。このため20代後半ぐらいから大人っぽい役が中々もらえないという不遇の時代を迎え、数年間は役者としての仕事が激減した[4][注釈 3]。 20歳の時にとある先輩役者から誘われたことがきっかけで、競馬をやり始めた[6]。25歳から担当した関西の競馬中継番組『ドリーム競馬』の司会の収入は、その後役者として不遇の時代を迎えた宮川家の生活を支えることとなった[注釈 4]。 2003年の二冠馬ネオユニヴァース(皐月賞・日本ダービー優勝)や重賞勝ちのあるロサード、ステイゴールドの全妹のレクレドール、ディープインパクトの全弟のオンファイアといった各馬の一口馬主でもあった。ちなみに2006年、サンテレビジョン『園田・姫路競馬ダイジェスト』で「兵庫ジュニアグランプリイベント」(ゲスト出演)の募集告知があった際、肩書きが「競馬キャスター」となっていた。 マイケル・J・フォックスの多くの作品で吹き替えを担当。声優としてデビューした作品は、日本で1986年から放送が始まった、マイケル主演の海外ドラマ『ファミリータイズ』である[7]。この作品でマイケル演じる主人公アレックス・P・キートンの吹き替えを担当したが、開始直後は自分の声がマイケルに合うのか不安を抱えながら収録に臨んだ[8]。ほどなくしてこの吹替えが視聴者から好評を得たことで、自信を持ってマイケルの声を演じられるようになった[8]。 マイケルの役作りで本人が重要と思うことは、彼が演技をしてる最中に身振り手振りをする事が多い為、それに合わせて声の強弱や高低を付けたり、場面に応じて声を裏返らせる事だとしている[8]。以来マイケルの主演ドラマ『スピン・シティ』の他、主に長編映画のフジテレビ放送版で彼の吹き替えを多く担当した(詳しくは、「出演」の吹き替えの欄を参照)。 マイケルの代表作である『バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ』の主人公マーティ役の吹替えについて、「いつかはやらせてもらえるだろう」と思っていたが、何年経っても声が掛からなかった。長年同役を熱望していた[注釈 5]ため、2014年にBSジャパン(BSテレビ東京)放送の第1作『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のマーティ役に起用された時は[注釈 6]、震えるほど感激したという[8]。第2作以降は予算等の関係から実現しなかったが、4年後の2018年に同じくBSジャパンでの放送用として『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』と『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』の宮川による新吹き替え版が実現した[9][10]。 第1作の吹替えの話をもらった時点で48歳頃だった宮川は、若かりし頃のマイケルの声のイメージを思い出す必要があると考えた。事前にもらった『バック・トゥー・ザ・フューチャー』の原盤と台本を自宅などで読み、独自に演じた音声を携帯電話で繰り返し録音・再生して細かくチェックした。第2作、第3作の依頼を受けた際も、同じ形でそれぞれ約10時間を費やし(計30時間)、当時のマイケルの声のイメージを掴んでから本番に臨んだ[8]。また、視聴者にマーティ役を身近な存在に感じてもらうため、意図的にせりふの途中や語尾に息を混じらせたり、息を漏らす、という役者の発声法を用いている[注釈 7]。 かつてソフト版の同シリーズでマーティを吹き替え、BSジャパン版で相棒ドク・ブラウン(クリストファー・ロイド)の吹き替えを担当した山寺宏一は、「かつて(マーティを)吹替えた者から見ても、宮川さんのマーティは悔しいくらいピッタリ!」と絶賛している[9]。宮川は山寺からこう評されたことを「本当にうれしいですし、僕の心の支えです」と語りつつも、競合してマイケルの吹き替えを担当した山寺や三ツ矢雄二について「(自身は)声優としての力量はお二人の足元にも及びません」としている[11]。
エピソード
学生時代
俳優デビュー後
競馬
マイケル・J・フォックスの吹き替え
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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