室礼
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

鉤あり、おのおの壁代を懸ける」[9]とある。この図を含む記事のタイトルは「御装束」とだけあり、何月のものかは記されていないが、壁代を掛けているので冬場ということになる。

図の一番上の北庇との間は押障子鳥居障子が交互に使われている。内裏の紫宸殿なら賢聖障子が填められている処である[10]。はめ殺しの賢聖障子にも数カ所戸が付いていたが、ここでは鳥居障子(襖)がその役目を果たしている。

縦の列、つまり側面を見ると、母屋に置かれた「帳」の東(右)に棟分戸と書かれているのが塗籠妻戸で、それを閉じて御簾を掛け、前に屏風が置かれている。屏風は文字には現れないが折れ線の記号で描かれている。「帳」の西(左)ははめ殺しの押障子で通り抜けは出来ない。内裏の紫宸殿ではこの位置には漆喰の白壁がある[11]。南庇は両側(東西)を鳥居障子(襖)で仕切っている。この「押障子」と「鳥居障子」はパネルとしての障子、つまり建具である。建築図面にすると塗籠以外には壁の無い、柱だけの室内空間は実際にはこうしてカーテン状の障子、パネル状の障子で仕切って生活空間を作っていた。
調度の室礼473:帳台

調度の室礼については上から見ていく。なお個々の調度については類聚雑要抄巻四に非常に詳しく図入りで記されている。
帳台

母屋に正方形の四角に「帳」とあるのが帳台(画像473)である[12]奈良時代から平安時代初期に歌われた風俗歌『催馬楽』には「我家は 帷帳(とばりちょう)も 垂れたるを 大君来ませ 婿にせむ 御肴(みさかな)に 何よけむ」と帷帳(とばりちょう)が出てくる[13]。「私家の娘が適齢期になりました、帷帳(帳台)も垂らして閨房は完璧です。どうか来てくれませんか」、と若い男に向 かって招婿(しょうせい)している歌であるので、その帳台はその屋敷の主人のものではない。

しかし寝殿造の具体例が明らかになる12世紀、東三条殿の指図画像472では帳台は主人の関白藤原忠実の分だけであり、北庇の娘や息子の居所には帳台は無い[14]。更に帳台を構えたのは内裏の天皇、皇后、中宮と、あとは摂関家など最上級の貴族の主人だけにしか無く、貴族全員が使っていた訳ではない[15]
大床子472e:「類聚雑要抄巻第二」 移徙・寝殿の一部拡大

画像420では、帳台の西北に屏風の記号と「二階厨子一双」とある。図は省略されているが本文によると「二階厨子一双」の南に畳み二枚の広さの御座がある[16]。帳台の左の「高礼(高麗)二枚〈在中敷〉」との記載はその分である。その場所の南側に「三尺几帳」とある書き込みはその御座に添えられる几帳である。内裏・紫宸殿ではこの座を大床子と呼んでいる。画像472ではそれが図にも書かれている。なお、両図を比較して判るように室礼はときによって若干異なる。

畳については、室町時代に編纂された『海人藻芥』には「帝王、院、繧繝端也、神仏前半畳用、繧繝端、此外実不可」とある。普通は高麗縁と紫縁で、高麗縁には大紋高麗と小紋高麗があり、大紋高麗は親王・大臣。小紋高麗は大臣でない公卿。公卿より下位の殿上人などは紫縁である[17]。『類聚雑要抄』巻四には帳台を立てる畳に繧繝(うげん)二帖とあるが[18]、とあるがそれは前ページに「今案、永久六年(1118)中宮立后時」[19]とあるように中宮のためのものであるので矛盾しない。しかし画像472の永久3年(1115)7月21日の関白藤原忠実の東三条殿移徙でも繧繝端の上に帳台を立てている[20]。摂政関白は普通の大臣とは格が違うためか、あるいは時代により変化があるのかは不明である。いずれにしても最上級の限られた者のみである。
二階厨子st1:『類聚雑要抄』巻四にある二階厨子

南庇で「帳」の真南に畳み二枚の上に地敷二枚と中央に(しとね)を敷き、昼間の御座がしつらえられている。西に屏風を立て二階棚を置き、置き物が書かれているが、本文には二階棚の「上層に唾壺?坏(ゆするつき)などと?坏の台を置く。下層に打乱筥(うちみだればこ)、二階(棚)の南辺に唐匣(からばこ)を立つ。その南に鏡筥(かがみばこ)、その南に鏡台。の前に脇息(きょうそく)を立て、脇息の西方に硯筥(すずりばこ)を置く。二階(棚)の前〈畳みの上〉に火取(香炉)を置く」[21]とある。それが主人の常居所(居間)に置かれるワンセットである。庇に「畳」と書かれているのは傍に仕える女房達のためのものとされる[22]。同じ東三条殿寝殿の別のときの室礼を記した画像472にはその畳みが省略されずに描かれている。
出典^ a b 小泉和子2005、p.107-112
^ 小泉和子2015、pp.52-53
^ 類聚雑要抄、pp.513-521
^ 類聚雑要抄、pp.525-529
^ 類聚雑要抄、pp.540-546
^ 小泉和子2015、p.53
^ a b 類聚雑要抄、p.555
^ 小泉和子2015、p.43
^ 川本重雄1998、p.168
^ 小泉和子2005、p.87
^ 年中行事絵巻、p.22下段・p.24上段
^ 小泉和子1996a、p.136
^ 催馬楽、呂歌「我家」、p.156
^ 類聚雑要抄、pp.540-541
^ 小泉和子1996a、p.149
^ 類聚雑要抄、p.554
^ 海人藻芥、p.90
^ 類聚雑要抄、p.591
^ 類聚雑要抄、p.590
^ 類聚雑要抄、pp.539-541
^ 川本重雄1998、p.169参考
^ 川本重雄1996、p.26

参考文献

「類聚雑要抄」『群書類従 第26輯』続群書類従完成会、1929年。 

「海人藻芥」『群書類従 第28輯』続群書類従完成会、1933年。 

小泉和子 「絵巻物に見る中世住宅の寝場所」『絵巻物の建築を読む』東京大学出版会、1996年。 

小泉和子『室内と家具の歴史』中央公論新社、2005年。 

小泉和子編『図説日本インテリアの歴史』河出書房新社、2015年。 

川本重雄 「貴族住宅」『絵巻物の建築を読む』東京大学出版会、1996年。 

川本重雄・小泉和子編『類聚雑要抄指図巻』中央公論美術出版、1998年。 

小松茂美 日本の絵巻8『年中行事絵巻』中央公論社、1987年。 

催馬楽『日本古典文学全集25』小学館、1976年。 

関連項目

寝殿造

障子

類聚雑要抄

海人藻芥










日本の建築・インテリア
古代
中近世

様式

神道

校倉造

入母屋造

大鳥造

隠岐造

尾張造

香椎造

春日造

祇園造

権現造

神明造

住吉造

大社造

中山造

流造

八幡造

日吉造

比翼入母屋造


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:49 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef