第二次世界大戦では多くの国家間で宣戦布告が行われたが、この時期に多くの戦線で戦端の口火を切ったナチス・ドイツはほとんどの戦線において正式な宣戦布告なしに開戦を行っている。また大日本帝国も日中戦争(支那事変)では宣戦布告を経ていない。対米英宣戦布告は真珠湾攻撃・マレー作戦開始の後だった。
1945年10月24日に発足した国際連合では、その憲章第2条第3項、第4項において加盟国間での戦争そのものを実質的に禁止すると共に、憲章第51条において武力攻撃を受けた加盟国が個別的自衛権もしくは集団的自衛権を発動した場合の国連安全保障理事会への報告義務を課すことにより加盟国の間での宣戦布告なき戦争を実質的に根絶しようとした。
個別的自衛権、集団的自衛権、いずれを発動した場合も、相手国(組織)への宣戦布告および国連安全保障理事会への報告さえあれば正当な武力行使と内外に認定されるわけでは全くない。国際的には憲章第29条による国際戦犯法廷や国際司法裁判所(ICJ)によって開戦理由の正当性や戦争犯罪人が審判されることとなる(e.g. 旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷、ルワンダ国際戦犯法廷、ニカラグア事件)。
なお、その武力行使の正当性について相手国から宣戦布告が行われたためと相手国に責任転嫁しようとする事例が存在する。エチオピア・エリトリア国境紛争では、紛争勃発後の1998年に行われたエチオピア側のエリトリア非難をエリトリア側が「エチオピア側の宣戦布告」であると宣言し、エチオピア領内に侵攻した事例がある。しかし、両国の外交関係は継続しており、エチオピアのエリトリア非難を宣戦布告と認めた国や機関は皆無であった[4]。同様に、2012年の南スーダン・スーダン国境紛争においては、南スーダン共和国大統領サルバ・キール・マヤルディがスーダン共和国(北スーダン)側から宣戦布告が行われたと責任転嫁発言を行った[5]。
また、外交的駆け引きのために相手国の言動を「事実上の宣戦布告」と宣言するような事例もある。例えば、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は、2009年に南朝鮮(大韓民国の北朝鮮での呼称)のPSI全面参加を宣戦布告と見なすと声明[6]を出したほか、2017年9月にもアメリカ合衆国のドナルド・トランプ大統領のツイッターでの発言を、北朝鮮の李容浩外相が宣戦布告であると言及する[7]など、相手国民を困惑させる「瀬戸際外交」をしばしば展開している。 戦争開戦日宣言内容交戦勢力終戦日参考 大日本帝国憲法は第13条で「天皇ハ戰ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ條約ヲ締結ス」と規定しており、天皇大権の一つであった。 大日本帝国憲法下では4回の戦争(日清戦争での対清宣戦布告、日露戦争での対露宣戦布告、第一次世界大戦での対独宣戦布告、第二次世界大戦での対英米宣戦布告)において宣戦布告が行われた[21]。
第二次世界大戦後の宣戦布告による戦争
文献
宣言側相手側
第一次中東戦争 (1948?49)
第二次中東戦争 (1956)
第三次中東戦争 (1967)
消耗戦争 (1967?70)
第四次中東戦争 (1973)1948年5月15日宣戦布告 エジプト
ヨルダン
シリア
イラク
レバノン イスラエルエジプト: 1979年3月26日
ヨルダン: 1994年10月26日
シリア: 戦争中
イラク: 戦争中
レバノン: 戦争中[8]
オガデン戦争1977年7月13日宣戦布告 ソマリア エチオピア1978年3月15日
ウガンダ・タンザニア戦争1978年11月2日宣戦布告 タンザニア ウガンダ1979年6月3日[9]
イラン・イラク戦争1980年9月22日宣戦布告 イラク イラン1988年7月20日[10]
フォークランド紛争1982年5月11日宣戦布告
(戦争地帯の存在を宣言) アルゼンチン イギリス1982年6月20日[11]
パナマ侵攻1989年12月15日戦争状態が存在 パナマ アメリカ1990年1月31日[12]
エチオピア・エリトリア国境紛争1998年5月14日戦争状態が存在 エチオピア エリトリア2000年12月12日[13]
チャド内戦 (2005年-2010年)
ジブチ・エリトリア国境紛争(英語版)2008年6月13日戦争状態が存在 ジブチ エリトリア2010年6月6日[15]
南オセチア紛争 (2008年)2008年8月9日宣戦布告
(戦争状態を宣言) ジョージア ロシア?2008年8月16日[16]
南北スーダン国境紛争 (2012年)2012年4月11日戦争状態が存在 スーダン 南スーダン2012年5月26日[17]
シナイ反乱(英語版)2015年7月1日戦争状態が存在 エジプト ISIL2023年1月25日[18]
2023年パレスチナ・イスラエル戦争2023年10月7日宣戦布告
(戦争状態を宣言) イスラエルハマース進行中[19][20]
日本における宣戦布告