大日本帝国憲法は第13条で「天皇ハ戰ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ條約ヲ締結ス」と規定しており、天皇大権の一つであった。
大日本帝国憲法下では4回の戦争(日清戦争での対清宣戦布告、日露戦争での対露宣戦布告、第一次世界大戦での対独宣戦布告、第二次世界大戦での対英米宣戦布告)において宣戦布告が行われた[21]。
日本国憲法には宣戦布告に関する規定はない。
アメリカにおける宣戦布告「アメリカ合衆国による宣戦布告」を参照
アメリカ合衆国憲法では、第1条8節11項にて宣戦布告権が規定されている。宣戦布告には連邦議会の承認が必要であり、大統領が単独で発することはできない[22][23]。実際にアメリカ合衆国が正式に宣戦布告を行ったのは憲法制定以後1812年戦争・米墨戦争・米西戦争・第一次世界大戦・第二次世界大戦の5回である。
1960年代に激化したベトナム戦争では、アメリカは宣戦布告が行われないまま軍を投入し続けた。このため、戦争の合法性に関する裁判がいくつも提起されたが、アメリカの連邦最高裁は審理もしないまま却下し続けた。しかし1970年4月1日、マサチューセッツ州議会で「同州の市民は宣戦布告をしない戦争には参加しなくともよい」との趣旨の州法が可決、翌日には発効することとなったため、州当局は州法の発効には連邦最高裁の同意が必要として上告を行った。同年11月9日に開かれた連邦裁小法廷では、判事9人のうち6人が州法の発効に反対する票を投じて否決された[24]。
脚注[脚注の使い方]
出典^ 1907年開戦に関する条約、 ⇒第1条
Article 1The Contracting Powers recognize that hostilities between themselves must not commence without previous and explicit warning, in the form either of a reasoned declaration of war or of an ultimatum with conditional declaration of war.
邦訳「締約国は理由を付したる開戦宣言の形式、または条件付開戦宣言を含む最後通牒の形式を有する、明瞭かつ事前の通告なくして、其の相互間に戦争(hostility)を開始すべからざることを承認す。」戦争行為(hostilities)の開始の前に行う警告を「宣戦布告(開戦宣言、declaration of war)」または「条件付開戦宣言を含む最後通牒(ultimatum with conditional declaration of war)」としている。
^ “Convention (III) relative to the Opening of Hostilities. The Hague, 18 October 1907.