その後、アメリカにおいて「実験音楽」という言葉に記事冒頭の定義ような意味合いが強まると、ジョン・ケージの音楽に対して、当時のヨーロッパのセリー技法を用いる作曲家(ブーレーズ、シュトックハウゼンなど)の音楽は、たとえ技法として偶然性を取り入れていても「前衛」(アヴァン=ギャルド)ないし「前衛音楽」と呼んで明確に区別するようになった。
このような用語法は、レナード・メイヤーの著書『音楽・芸術・思想?20世紀の文化におけるパターンと予測』(Music, the Arts, and Ideas: Patterns and Predictions in Twentieth-Century Culture、1967年)や、マイケル・ナイマンの著作『実験音楽:ケージとその後』(1974年)において踏襲されている。しかしこうした区別をせず、「実験音楽」と「前衛音楽」をほぼ同義のものとして両者を区別せず用いる場合もある。 1960年代以降、実験音楽、前衛音楽のシーンは特に活動が活発化した。現代音楽では作曲の技法に重点が置かれているのに対し、実験音楽は音楽的な行為の枠を問うのが特徴である。 実験音楽の代表的な音楽家としては、ジョン・ケージや、ソニック・アーツ・ユニオンを構成したロバート・アシュリー、アルヴィン・ルシエ
世界の実験音楽
多くの実験音楽家は他の分野の芸術家との交流も深く、それぞれの芸術活動に大きい影響を与えた。マルセル・デュシャンやマース・カニンガムなどは特に、交流のある実験音楽家なしに成立しなかった作品も存在する。偶然性の音楽はマルセル・デュシャンの姉妹イボンヌとマグデレーヌによって作曲され[4]、1920年のダダ・イベントで演奏されている[5]。また、実験音楽にはクラシック音楽サイドからのアプローチだけでなく、ロックやジャズなどの音楽ジャンルからの試みもさかんにおこなわれてきた。フリー・ジャズのオーネット・コールマン、前衛ロックのフランク・ザッパを筆頭に、ルー・リードのヴェルヴェット・アンダーグラウンド[注 2]、キャプテン・ビーフハートやレジデンツなどがエクスペリメンタル・ロックとしてあげられる[6]。またイギリスでは、ビートルズのジョン・レノンは、オノ・ヨーコと実験音楽アルバム『トゥー・ヴァージンズ』を発表した。プログレッシブ・ロック系のブライアン・イーノ、ロバート・フリップ、フレッド・フリス参加のヘンリー・カウ、ジャズ・ロックからソフト・マシーンなどが参入した。旧西ドイツでは、フルクサスの流れを汲むカンやファウスト、現代音楽家を擁するスラップ・ハッピー、なども実験音楽に接近した。またスラップ・ハッピーとヘンリー・カウは協力してアルバムを制作している。プログレッシブ・ロックが衰退した1970年代後半には、パンク、ニュー・ウェイヴ系のデヴィッド・バーンとトーキング・ヘッズ、キャバレー・ヴォルテールやディス・ヒート、PIL、ジェームス・チャンスやDNA、ローリー・アンダーソン(1980年代に登場)らが登場した。