位相空間上の関数やその積分の収束を考えるときは、問題にしている関数たちによって指定される位相空間の部分集合が重要になるが、こうして可測集合の概念が得られる。例えば実閉区間 [0, 1] 上の関数を考えるときには一点集合 {t} (0 ≤ t ≤ 1) や開集合を含んで、補集合をとったり可算個の合併について閉じていたりするような集合族を考えることになる。距離を持つコンパクト空間の可測集合のなす構造は、高々可算集合または閉区間 [0, 1] の構造に同型となることが知られている。 ウリゾーンの補題
幾何学における実数
ユークリッド空間は有限次元の実ベクトル空間にその構造と両立するような距離をあたえたものとして定式化される。実1次元ベクトル空間を平行移動したものが直線を示し、実2次元ベクトル空間を平行移動したものが平面を表していると見なせる。古典的なユークリッド幾何学は2次元や3次元のユークリッド空間とその構造を保つような変換についての研究だと解釈できる。
現代数学における図形の基本的な定式化の方法として多様体の概念が挙げられるが、これは局所的にはユークリッド空間のように見える「端切れ」を張り合わせたものとして定式化される。したがって多様体の点は局所的にはいくつかの実数の組による座標付けを持ち、多様体上の実数値関数について微分や積分を考えることが可能になる。
多様体は連続的なものとして定義されるので、その連続的な「時間発展」、「変化」、あるいは「変形」を考えることができるが、これはしばしば加法群 R の微分同相による作用と考えることができる。このような作用は力学系とよばれ、その類似として様々な分野でも R の作用が研究される。 実数の集合 R は体の構造を持っており、実数を係数とした多項式や実数の拡大体を考えることができる。ここで実数が極大順序体であることにより実数係数の多項式は 3 次以上なら既約にならない。したがって R の有限次元拡大になっている可換体は R 自身と複素数体 C しかなく、可換性を外してもほかの有限次拡大体は四元数体 H しかない。 数論的に重要と見なされる位相群に(Q の)イデアル類群 C があるが、その単位元の連結成分は加法群 R と同型である。Q のアデール A を Q の乗法群で割った A/Q× へのこの C の正規部分群の作用の理解がアラン・コンヌによるリーマン予想プログラムの一部分をなしている。 代数体のうちで複素数体への埋め込み先が必ず実数に含まれるようなものは総実代数体とよばれ、代数的整数論において重要な役割を果たしている。 実数体は加法に関して群であるが、その部分群は離散部分群か稠密部分群のいずれかしかない。なお前者の場合は巡回群となる[注 3]。 自然科学のさまざまな分野において、連続的に変化する量の計測値を表す数の体系として実数がもちいられている。たとえば時間は基準となる時刻からの経過を表す一つの実数によって指定される。また、現実には離散的な値をとる量でもその単位があまりに小さい場合には実数による連続的な定式化が用いられる。たとえば化学における溶液の濃度や経済学における通貨流通量などは微分や積分が可能な関数によって表され、解析されるのが普通である。 一方で、20世紀に入って量子力学において複素数(値の関数)が本質的なものとしてもちいられることや、物理量が離散的な値をとる(量子化)ことなど、現実世界の現象の記述にいつでも実数が適合しているわけではないことが認識されるようになった。ベルンハルト・リーマンなど何人かの数学者は、空間における物体の位置を表す数の体系としても、実数はひとつの近似を提示しているにすぎないのかもしれないという疑念を表明している。 紀元前1000年頃のエジプトで帯分数がすでに使われており、紀元前600年頃のインド「シュルバ・スートラ」(サンスクリット語で「コードの規則」)では無理数の使用や円周率の近似値として 3.16 が与えられている。 数の体系としての実数をとらえる試みは古代ギリシャにおける「大きさの理論」にさかのぼることができる。この「大きさ」とは大小比較や加法、自然数倍ができるようなものとして定式化される。幾何学における線分の長さなどがこの大きさの理論を適用できる概念になるが、こうして考えられた量が自然数(あるいは整数)の比である有理数だけではとらえきれないという紀元前500年頃のピタゴラス学派による発見は大きな意義をもっていた。 6世紀にはインドの数学者によって負数の概念が発明されており、ほどなくして中国の数学者たちも独立にその概念を発明した。ヨーロッパでは16世紀まで負数が用いられていなかったし、1700年代後半のレオンハルト・オイラーでさえ方程式の負の解をあり得ないものとして切り捨てている。 17世紀にアイザック・ニュートンとほぼ同時に微分の概念に到達したゴットフリート・ライプニッツは数の無限小変動(モナド)の考え方によって微分をとらえようとした。彼の考え方は十分に形式化されず、厳密性を欠いたものだった。18?19世紀にベルナルト・ボルツァーノ、オーギュスタン・コーシー、カール・ワイエルシュトラスらによりイプシロン-デルタ論法にもとづく微分の定式化が達成された。これにより数のコーシー列の「収束先」の存在を保証するものとして実数の体系がはっきりとした存在意義を持つようになった。 また、18世紀から19世紀にかけて無理性や超越性についての研究が大きく進展した。
代数学における実数
部分群
自然科学における実数の使用
歴史
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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