実存主義
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サルトルの思想は、実存に新たな光を当て当時の人々の根源的な不安を直視しそれに立ち向かい、自由に生きることの意味を追求し、人間の尊厳を取り戻す術として人々に受け入れられることになった[24]サルトルらによって広まった実存主義は、サルトルのアンガージュマン(他の実存と共に生きるための自己拘束)の思想に見られるようにマルクシストとしての社会参加色が強く、それに呼応しない者には説得力がなかったが、1960年代学生運動の思想的バックボーンとなった。サルトルの『実存主義とは何か』は実存主義のマニフェストであり入門書ともいわれた。

この、支配制度に対する被支配的個人の重視は、サルトルの思想が1970年代に入ると、 構造主義などから批判を受け、退潮傾向になっていったが、哲学者による研究は継続された。他者を支配管理する実存はあり得ない。また、実存主義は同じく「私」に焦点を当てる芸術や文学心理療法にも影響を与えた。

実存主義を哲学のみならず、文学、芸術などにも拡大解釈する場合(ボルノウなど) 、パスカルドストエフスキー等も実存主義者だと解される場合もある[25]

詩人でもありロックバンドThe Doors』のボーカルジム・モリソンは様々な実存主義者に影響を受けている。

日本の実存主義の学者としては、田邊元西田幾太郎らがあげられる。経世実用を学風とする日本の哲学者草薙正夫信太正三武藤光朗らは実存主義哲学からマルクス主義インド哲学などにアプローチして、現実の社会問題を解決しようとし、無限革命論(トロツキーの永続革命論とは異なる)に発展する。また、唐十郎は明治大学の卒論が「サルトル」であり、状況劇場の由来もサルトルの評論「シチュアシオン」(仏語・状況)、1963年の劇団の旗揚げ公演もサルトルの「恭しき娼婦」という傾倒ぶりだった。[26]禅宗もしくは仏教一般の実存に関しては、西田幾太郎の弟子で宗教哲学者の久松真一は戦前の『即無的実存』(1935年)で、禅宗もしくは仏教一般の「即無的実存性」を主張している。有に対する否定としての無を消極的な無と見ている。一方、有と無との間の対立を無化する無を積極的な無と見つつ、こちらの無に即すことを実存としている。



名称

「実存主義」の名称自体は ドイツの『一般文学新聞』において1815年に既に、Existentialismusという語で使用されている[27]。ただし、学問の世界で一般化したのは、前述の通りガブリエル・マルセルが使用し始めてからである。

第二次大戦後、治安、政情の不安定であったパリで、職に就かず、その日暮らしをしながらカフェやナイトクラブにたむろする若者を指して使われた。人生に目的を持たず不条理にただそこに現実存在している状態を批判する呼び方であり、いうなれば蔑称であった。実存主義を自ら名乗った哲学者サルトルも、初期はこの名称で呼ばれることを嫌っていた。
世界の主な人物
哲学者・思想家・法学者など

サルトル

ボーヴォワール

キェルケゴール

ヤスパース

メルロー=ポンティ

マルセル

ニコラ・アバニャーノ

ハンス・ヨナス

シェリング

ショーペンハウアー

シュティルナー

ニーチェ

シェストフ

ハイデッガー

ベルジャーエフ

バタイユ


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