哲学者フレデリック・コープルストンによる解説では、サルトルは「実存主義者に共通しているのは、存在は本質に先立っているという基本的な教義である」と考えている[16]。ロシア文学者・梅田寛によれば、ヘーゲルの唱えた「絶対説、人類進歩についての三体説及び『実在するものは全て合理である』という結果に対する効果は盛んに論議され」て当時の皇帝制度も含めその合理性が主張されていたが、次第に青年ヘーゲル派などヘーゲル崇拝者の中からも批判が生じる結果となった[17]。プロイセン(ドイツ)では、ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ、カール・マルクス(フォイエルバッハに関するテーゼ)、フリードリヒ・エンゲルス(フォイエルバッハ論)、ロシアではヴィッサリオン・ベリンスキー[18]、アレクサンドル・ゲルツェン[19]、ニコライ・チェルヌイシェフスキー[20]、デンマークではキルケゴールなどがヘーゲルに批判的な立場から活動を行った。「新ヘーゲル主義」および「新カント派」も参照
第一次世界大戦終結後間もなく、詩人ポール・ヴァレリーはテュービンゲン大学における講演で言った。「諸君、嵐は終わった。にもかかわらず、われわれは、あたかも嵐が起ころうとしている矢先のように、不安である。」
ダーウィンの『種の起源』以降、ヨーロッパは古代以来の「聖書的世界」から、「科学と進歩の時代」へと向かった。実存主義は実証主義や合理主義などの、それまでの哲学の主流に対する反動として19世紀に萌芽が見られ、第一次世界大戦、第二次世界大戦の国家総力戦による大量破壊を経て、さらに発展した[21]。
「主体性が真理である」として、キルケゴールは神から与えられた可能性を実現することに生の意義を見出した主体志向を唱えた。さらに、第一次世界大戦において、個人を置き去りにした近代思想の惨禍を目の当たりにして、個人を哲学的考察の対象にしようという傾向も見れれた。神の死(「神は死んだ」)を宣言し、能動的なニヒリズム (運命愛) の思想を展開したニーチェを、神を否定する実存主義の系譜の先駆者としつつ、1930年代、ドイツのマルティン・ハイデッガーやカール・ヤスパースらによって「実存」の導入が図られた。