サルトルによると普遍的・必然的な本質存在に相対する、個別的・偶然的な現実存在の優越を本来性として主張する思想である、とされる(「実存は本質に先立つ」)[7]。本質をないがしろにするような思想のものから、本質はこうだが現実はこうであり、本質優位を積極的に肯定せずに、現在の現実をもってそれをどう解決していくべきかを考えるものまで幅が広い。問題としているのは「人間の実存」であり、物質などの「モノの実存ではない」。実存主義は欧米白人のイメージが強いが、黒人にもラルフ・エリソンらの実存主義者がいた[8]。実存主義の当初の日本語訳は「現実存在」であったが、九鬼周造がそれ(正確には「現実的存在」)を短縮して「実存」とした[9]。立花隆は、キルケゴール、ドストエフスキーらのキリスト教実存主義と、サルトル、カミュらの無神論実存主義では、キリスト教実存主義には親近感を感じるが、無神論系の実存主義にはなじめなかったと述懐している。 古代哲学では、ヘラクレイトスのロゴスの思想の影響下に、イデア論を構想したプラトンを批判的に継承したアリストテレスが、第二実体 (普遍者) と第一実体 (個物に対応) との区別を提唱した[10]。アリストテレス及びスコラ哲学では、実存を本質に対する概念としてとらえている[11]。アリストテレスにとってはプラトンの普遍者実体が、自分には実存につながらない存在と見えていた。なお、ソクラテス、プラトン、アリストテレスらの古代の哲学者を実存主義者とは呼ばない。近代哲学では、ヘーゲルが、理念と現実との不可分性(理念的・必然的、あるいは合目的的ではない、一回的な、あるいは偶発的な個物は永続性や普遍性を欠く、という意味で現実性を欠く、という意合い)を説いて「理性的なものは現実的となり、現実的なものが理性的となる。[12]」(法の哲学序文)であるとした。これに対抗して、神の前に教会を経ずに立つ単独者としての、自己自身の「実存」(existenz )を価値としたキルケゴールは、実存哲学の嚆矢ともいわれる。その場合に、信仰者を前提とした制約された姿勢がキルケゴールの実存にはあるということを、正しい実存理解のためには見据える必要がある。キェルケゴールは、理想主義的な分析をするスウェーデンボルグらの文芸批評家を否定した[13][14][15]。 哲学者フレデリック・コープルストンによる解説では、サルトルは「実存主義者に共通しているのは、存在は本質に先立っているという基本的な教義である」と考えている[16]。ロシア文学者・梅田寛によれば、ヘーゲルの唱えた「絶対説、人類進歩についての三体説及び『実在するものは全て合理である』という結果に対する効果は盛んに論議され」て当時の皇帝制度も含めその合理性が主張されていたが、次第に青年ヘーゲル派などヘーゲル崇拝者の中からも批判が生じる結果となった[17]。プロイセン(ドイツ)では、ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ、カール・マルクス(フォイエルバッハに関するテーゼ)、フリードリヒ・エンゲルス(フォイエルバッハ論)、ロシアではヴィッサリオン・ベリンスキー[18]、アレクサンドル・ゲルツェン[19]、ニコライ・チェルヌイシェフスキー[20]、デンマークではキルケゴールなどがヘーゲルに批判的な立場から活動を行った。
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