宝永三ツ宝丁銀
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いずれの「宝」字極印も丁銀と同様に玉の上部がウ冠まで突き抜けていることで二ツ宝銀と区別され、玉の底辺の両側が跳ねていないことを特徴とする[1][15][8]
三ツ宝銀の品位

『旧貨幣表』によれば、規定品位は銀32%(六割四分八厘引ケ)、銅68%である。

三ツ宝銀の規定品位

明治時代造幣局により江戸時代の貨幣の分析が行われた。古賀による三ツ宝銀の分析値は以下の通りである[16]

0.08%

32.65%

雑67.27%

雑分はほとんどがであるが、少量のなどを含む。
三ツ宝銀の鋳造量

『吹塵録』によれば丁銀および豆板銀の合計で370,487余(約1,382トン)である。しかしながら、『月堂見聞集』では353,870貫余(約1,320トン)としており[17]、これは発行途中の段階のものであると考えられる。

公儀灰吹銀および回収された旧銀から丁銀を吹きたてる場合の銀座の収入である分一銀(ぶいちぎん)は三ツ宝銀では永字銀と同じく鋳造高の10%と設定され[18]、また吹替えにより幕府が得た出目(改鋳利益)は80,199貫余であった[19][18][20]
脚注
出典^ a b 郡司(1972), p76.
^ 滝沢(1996), p203.
^ 三上(1996), p182-183.
^ 田谷(1963), p185-186.
^ 青山(1982), p116-118, p120.
^ a b 滝沢(1996), p206-207.
^ a b 田谷(1963), p186-190.
^ a b 青山(1982), p118-119.
^ 郡司(1972), p71-72.
^ 矢部(2004), p533.
^ 久光(1976), p108.
^ 田谷(1963), p275-277.
^ 滝沢(1996), p207-208.
^ 田谷(1963), p277-281.
^ 貨幣商組合(1998), p79.
^ 甲賀宜政 『古金銀調査明細録』 1930年
^ 小葉田(1958), p163-165.
^ a b 田谷(1963), p190-194, p290-293.
^ 瀧澤・西脇(1999), p269-271.
^ 滝沢(1996), p205.

参考文献

青山礼志『新訂 貨幣手帳・日本コインの歴史と収集ガイド』ボナンザ、1982年。 

郡司勇夫・渡部敦『図説 日本の古銭』日本文芸社、1972年。 

久光重平『日本貨幣物語』(初版)毎日新聞社、1976年。


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