宝永三ツ宝丁銀
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加えて良質の慶長銀の様に退蔵されることもほとんどなく、流通分も通用停止時にはほとんど正徳銀と引替えられたため[8]、現存数も永字丁銀と同様に極めて稀少である[9][10]

相次ぐ悪銀の鋳造発行は銀相場に混乱を来し、商品の値段はそれぞれの銀の種別に異なった相場が立つ有様であった[11]正徳4年8月2日(1714年9月10日)に良質の正徳銀が鋳造された当初、当時通用銀であった永字銀・三ツ宝銀・四ツ宝銀の3種は共に新銀慶長銀に対し10割増、つまり2倍の重量を以て新銀・慶長銀と等価に通用するとする割合通用が規定された。しかし、銀品位の異なる3種を等価に通用させるのは無理であり、享保3年閏10月(1718年)に出された御触れ「新金銀を以当戌十一月より通用可仕覚」では銀品位に基く市場における割合通用を追認するものとなった[12][13]

正徳銀が鋳造された後も暫く元禄・宝永各種の銀の混在流通の状態は続き、享保3年の「新金銀を以当戌十一月より通用可仕覚」により正徳銀が通用銀に変更された同年11月(1718年12月22日)までは永字銀四ツ宝銀と共に通用銀としての地位を保持した。

享保7年末(1723年2月4日)に、元禄銀・二ツ宝銀・永字銀、および四ツ宝銀と共に通用停止となった[14]
宝永三ツ宝豆板銀

宝永三ツ宝豆板銀(ほうえいみつほうまめいたぎん)は宝永三ツ宝丁銀と同品位の豆板銀で、「寳」文字および「宝」字を中心に抱える大黒像の周囲に小さい「宝」字が廻り配列された極印のもの「廻り宝」を基本とし、また「宝」字が集合した「群宝」、大文字の「宝」字極印である「大字宝」などが存在する。いずれの「宝」字極印も丁銀と同様に玉の上部がウ冠まで突き抜けていることで二ツ宝銀と区別され、玉の底辺の両側が跳ねていないことを特徴とする[1][15][8]
三ツ宝銀の品位

『旧貨幣表』によれば、規定品位は銀32%(六割四分八厘引ケ)、銅68%である。

三ツ宝銀の規定品位

明治時代造幣局により江戸時代の貨幣の分析が行われた。古賀による三ツ宝銀の分析値は以下の通りである[16]

0.08%

32.65%

雑67.27%

雑分はほとんどがであるが、少量のなどを含む。
三ツ宝銀の鋳造量

『吹塵録』によれば丁銀および豆板銀の合計で370,487余(約1,382トン)である。しかしながら、『月堂見聞集』では353,870貫余(約1,320トン)としており[17]、これは発行途中の段階のものであると考えられる。

公儀灰吹銀および回収された旧銀から丁銀を吹きたてる場合の銀座の収入である分一銀(ぶいちぎん)は三ツ宝銀では永字銀と同じく鋳造高の10%と設定され[18]、また吹替えにより幕府が得た出目(改鋳利益)は80,199貫余であった[19][18][20]
脚注
出典^ a b 郡司(1972), p76.
^ 滝沢(1996), p203.
^ 三上(1996), p182-183.
^ 田谷(1963), p185-186.
^ 青山(1982), p116-118, p120.
^ a b 滝沢(1996), p206-207.
^ a b 田谷(1963), p186-190.
^ a b 青山(1982), p118-119.
^ 郡司(1972), p71-72.
^ 矢部(2004), p533.


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