宝暦治水事件
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材木1640本10120両
四の手勢州金廻輪中から勢州海落口浜地蔵水行普請、定式普請、急破普請790両
材木1920本6250両
五の手勢州七郷輪中から勢州南ノ郷(推定)実施されず9850両
材木990本43020両

経緯

宝暦3年12月25日(1754年)、幕府より薩摩藩に対し、木曽川三川工事への助役が命じられた[13]。当時すでに66万両もの借入金があり、財政が逼迫していた薩摩藩では、工事普請の知らせを受けて@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}幕府のあからさまな嫌がらせに「一戦交えるべき」との強硬論が続出した[要出典]。薩摩藩主島津重年は普請請書を1754年(宝暦4年)1月21日に幕府へ送った[14]

同年1月29日に総奉行・平田靱負、1月30日に副奉行・伊集院十蔵がそれぞれ藩士を率いて薩摩を出発した。工事に従事した薩摩藩士は追加派遣された人数も含め総勢947名であった。

同年2月16日大坂に到着した平田はその後も大坂に残り、工事に対する金策を行い、砂糖を担保に7万両を借入し、同年2月9日に美濃大牧(岐阜県養老郡養老町)に入った。工事は同年2月27日鍬入れ式を行い、着工した。雪解け水によって水流が増す時期を避けるため、5月22日には第一期工事が終了した。第二期工事は9月21日に始まり、翌宝暦5年(1755年)3月28日に終わった[13]
犠牲者

竹鼻別院にある幕府側の自害者竹中伝六喜伯の墓

平田は国元への書状で徒士48人、足軽44人が不足しているとして派遣の要請を行っている。また江戸藩邸には徒士30人、足軽40人の派遣を要請している。このように薩摩藩の現場では大きな人手不足の状態となっていた[15]

1754年(宝暦4年)8月、薩摩工事方に赤痢が流行した。8月25日付の薩摩藩士佐久間源太夫による幕府への報告書では、半数近くが病気となっており、数十名の死者が出たという。このため佐久間は、鹿児島から増援を送るよう求めている[16]。同時期には江戸でも病気が流行しており、薩摩藩の『清水盛富年代記』では、江戸屋敷だけで200人の病死者が出たとしている[17]

工事が行われた地域の口承では薩摩藩士に多くの自害者が出たとされており、明治時代以降に検証活動を通して広まったことで通説となっている。『岐阜県治水史』によれば、1754年(宝暦4年)4月14日、薩摩藩士の永吉惣兵衛、音方貞淵の両名が自害した[16]。両名が管理していた現場で3度にわたり堤が破壊され、その指揮を執っていたのが幕府の役人であることがわかり、それに対する抗議の自害であったとされる[18]。『岐阜県治水史』は第二期工事中に36名の自害者の名・戒名・命日を記しているが、詳細は全て不明であるとしている[19]。また工事全体では54名の自害者が出、うち薩摩藩関係者は52名としている[20]。1900年に建立された『宝暦治水之碑』では合計49人の切腹者と、32人の病死者が出たとしている[21]。『岐阜県治水史』においては33名の病死者のうち32名が薩摩藩関係者、1人は町人であったとしている[21]

薩摩藩以外では高木新兵衛家臣の内藤十左衛門と、幕府小人目付竹中伝六が自害している[16]。内藤は地元の庄屋が指示に従わず、不備が指摘されたために主君への累を及ぼさないため切腹したとしている[16]。さらに人柱として1名が殺害された[要出典]。
工事の終結

1755年(宝暦5年)3月28日の第二期工事終了後、4月16日から5月22日にかけて幕府目付による検分が行われた[13]5月24日に総奉行平田靱負はその旨を書面にして国許に報告した。その翌日の5月25日早朝、美濃大牧の本小屋(大巻薩摩工事役館跡)で平田は死亡した。『岐阜県治水史』をはじめとする通説においては、平田は多くの自害者と病死者を出したことと、膨大な工事費を費やしたことを藩主に謝罪するために切腹したとされるが[20]、島津家で編纂された史料においては病死とされる[17]。辞世の句は「住み馴れし里も今更名残にて、立ちぞわずらう美濃の大牧」であったとされる。5月26日には副奉行の伊集院が江戸に向かい、到着後幕府に報告した。幕府からは工事の終了を祝って関係者に報賞が出された[22]
支出

『宝暦治水薩摩義士参考文書 全』に引用されている「重年公御譜中(本文)」[注 2]には、薩摩藩江戸藩邸は30万両の費用が必要であると見積もっていたことが記されている[注 3][23]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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