宝塚音楽学校
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2016年度の受験者数は1,079人、倍率は27.0倍である[13]1960年代までは平均3倍程度であったが、『ベルサイユのばら』上演による宝塚歌劇ブーム以後急速に上昇し「東の東大・西の宝塚」と称されるほどに難関化した[14]。史上最高倍率は1994年度(宝塚歌劇団82期生)入学試験の48.2倍である[15]。2004年度以降は受験者数が減少し20倍前後の倍率を維持していたが、2009年度に受験者数が増加し、同年度の倍率は27.65倍になった。その後は受験者数が1,000人程度、倍率は25倍前後で推移していたが[16]、2023年には倍率は15.3倍まで低下し、2024年は受験者数480名、倍率は12倍と2000年以降で最低となった[17][18]
ジンクス
前述の宝塚歌劇ブームから「『ベルサイユのばら』を上演した翌年の倍率は跳ね上がる」というジンクスが存在していた[19]
応募資格[20]


容姿端麗で、宝塚歌劇団の舞台人に適する者

義務教育終了から高卒までの年齢(15歳 - 18歳)の女子、受験のチャンスは最大4回

試験日程[21]
第1次:面接(東京・宝塚) 30秒間で、氏名以外の自分のデータ [22]を暗唱する。全志願者数→400人第2次:面接・歌唱(課題曲・新曲視唱)・舞踊(宝塚) 400人→100人第3次:面接・健康診断(宝塚) 100人→40人
試験内容[21]

面接
宝塚歌劇に適した容姿(端麗であること)、言語、動作、態度等であるか否かについて審査する。
歌唱
課題曲(願書と共に配布、数曲中より1曲を選ぶ)の歌唱。
舞踊
体の柔軟性、リズム感、運動神経、洋舞の適性が審査対象になる。課題は、試験会場で本科生が模範演技を見せる。
試験方法の変更

宝塚音楽学校の入学試験は創立以来内容をほぼ変更せず続けられていた[23] が、少子化に伴う受験者数の減少[24] と、「スクール[※ 1] で稽古を積まなければ合格できない」というイメージから、受験生がスクールのある都市部に偏り、地方出身者や未経験者が受験し辛い状況になっていたことを受け[25]、2009年度入学試験より試験内容を大幅に変更。

一次試験を面接のみとし、「新曲視唱」や「コールユーブンゲン」(合唱練習)を廃止するなど、実技試験を軽減(その後新曲歌唱は難易度を下げたものが追加された)[26]。受験時の完成度ではなく、素質と将来性を重視した試験へ転換した[24]
服装・校風
服装

「TMS」(タカラヅカミュージックスクールの略)のネーム入り校章が胸元に入ったグレーの
制服に、赤いリボンタイ。デザインは衣装部の静間潮太郎により、1956年(昭和31年)に制定された。

新入(予科)生は、男役:リーゼント、娘役:毛先まで堅く編み込まれた三つ編みのおさげ髪。

白の三つ折りソックスを着用すること。

靴は、予科生は黒のローファーで、本科生は黒のパンプスである。

腕時計は黒皮ベルトのもの。

予科生の心得

以下のような不文律が2020年まであった。違反すると反省文提出の制裁が加えられた。しかも内容を受け容れてもらえないと突き返されたという[27]

登下校の際はもちろん、校内でも嬌声や笑い声をたてないよう、姿勢を正してまっすぐ前を見つめて、早足で歩く。2列縦隊(最大6人)で行進しながら、道行く上級生一人一人に挨拶をする。

私服は、黒・白・グレーで、赤い物を着てはいけない。ブランド品を持ってはいけない。プライベートでの化粧は厳禁。

阪急電鉄宝塚線今津線にそれぞれ乗車する際は、最後尾の車両に乗らなければならない[28]。両親と同伴のときも守る必要がある。講師・本科生が、予科生を指導しやすいようにするためというのが、その理由と思われる。また、阪急電鉄関係者[※ 2] であることから、外部の乗客に対する礼として為す、という意味もあるようである。加えて、車内で着座することも厳禁とされており[※ 3]、下車駅では走り去る阪急電車を最敬礼で送ることも規則で決められている(電車に本科生が乗っている可能性があるため)[29]

電子レンジ、目覚まし時計といった、音の出る物品の所有は禁止。

本科生に気づいたら遠くからでも大声で挨拶しなければならない。

本科生の前では笑顔を見せてはならない。「予科顔」と呼ばれる、眉を寄せ口角を下げた悲しげな表情であること。

本科生への応答は「はい」「いいえ」や依頼・謝罪・謝礼(所謂「お・あ・し・す」[※ 4])の言葉以外であってはならない。

一人の違反者が発覚したら、周囲にいる他の者も自分の違反を自発的に申告しなければならない。「連続謝り」と呼ばれる。

公私すべてにおいて、本科生が予科生を指導し、その面倒をみるシステムになっている。

本科生になると、上述の規制は解かれた。

しかし、実際には本科生による行き過ぎた指導は続いており、体を壊した予科生も発生し、問題となったため、「時代に合わせて改善を進めている」として、このような不文律を廃止することが2020年9月に報じられた[30]。ただし、別の報道では、廃止について「数年がかりで撤廃した」という記述もある[31]
学校生活校内でレッスンに励む生徒たち(1919年)
入学後
1年目は「予科」、2年目は「本科」と呼ばれ、ほとんどの生徒は寮で集団生活をするが、近隣在住者が入学した場合は、自宅から通学した例がある。2年生(本科)の文化祭が、芸名でのお披露目であり、この時に「男役でいくか、娘役でいくか」を決める。ただし本人の個性(顔立ち・声など)が顕著な場合は例外もある。以前は身長を基準に高い方を男役、低い方を娘役の時代もあったが、現在は本人の自己選択[32][出典無効]。進級・卒業は無条件ではなく、留年措置も存在する[33]
卒業後
音楽学校卒業後、基本的には全員入団するが、歌劇団から入団を拒否されたり、個人的な事情で入団を辞退する者もいる。中には、その後高校に進学する者もいる。宝塚歌劇団に入団する場合、学校の席次は入団時にも付いて回る。新入団者の序列は、卒業時の席次であり、これが様々なリストなどで公開されている。宝塚歌劇団入団後については宝塚歌劇団#歌劇団員と宝塚音楽学校を参照。
イベント

年間の主なイベントは下記の通り。

4月

入学式

小林一三翁墓参り(予科生)


5月

すみれ募金活動 (予科生と本科生に分かれて募金活動が行われる)


7月

宝塚国際室内合唱コンクール ゲスト出演(本科生)

修学旅行(本科生)

学年旅行(予科生)


11月

秋の音楽会 (学校講堂にて披露される発表会)


1月

舞台化粧講習(本科生、宝塚歌劇団団員が直接指導にあたる)


2月

文化祭(本科生、宝塚バウホールで開催)


3月

卒業式


その他

「宝塚音楽学校」と記された、取り外し式の無垢の木製表札が開校当時から今も現役で使われており、専属の「看板係」が朝、外に掛け、終業時に収納する。木製なので雨に濡れるなどは論外で、降って来たら取り込む。本人もそうだった
紫吹淳によれば、この「看板係」を務めた生徒はトップスターになるという伝承がある[34]

毎週日曜日には、小学4年から中学2年まで(継続なら中学3年まで)の少女の健全育成を目的とした日曜教室「宝塚コドモアテネ」も開設され、宝塚音楽学校の講師陣と設備を利用し、バレエ・日舞・声楽の指導を実施している。

受験合格者の中に宝塚コドモアテネほか、予備校と呼ばれるスクールの出身者が多い。ほとんどのスクールで元タカラジェンヌが直接指導をしている。

宝塚ファミリーランドがあった当時は、宝塚音楽学校生徒で制服着用ならば園内の遊具の利用料が無償でありフリーパスだった。卒業生である大地真央未来創造堂出演の際、学生時代に、ジェットコースターが好きで休みの時、よく遊んだと述べている。


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