定山渓鉄道線
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歴史

1913年大正2年)に、国鉄苗穂駅から定山渓に至る軽便鉄道として、定山渓温泉への観光客の輸送、木材の輸送、鉱石と石材の輸送を主な目的として計画された。

当初は苗穂駅から豊平川の左岸を遡り、石切山付近で札幌市街馬車鉄道平面交差した後に豊平川を渡り、右岸を通って定山渓へ向かうルートを想定していたが、1913年(大正2年)8月の豊平川洪水を受けた護岸工事で当初の敷設予定地が使えなくなった[1]。そのため、1916年(大正5年)4月13日付の認可で分岐駅が苗穂駅から白石駅に変更となり、その後も月寒地区経由から豊平経由に変更されたり、真駒内地区では北海道庁種畜場の関係でルート変更を余儀なくされたりしたため、最終的に計画が固まったのは1917年(大正6年)8月のことであった[1]。また資金繰りでの難もあり、定山渓鉄道株式会社の設立は1915年(大正4年)12月20日と当初の計画から大きく遅れている。

工事施工認可は1917年(大正6年)4月6日で、22.5 kg/m 軌条や車輌については国鉄の払い下げを受けた[1]。こうして、81万2000円の費用をかけて白石駅 - 定山渓駅間 (29.9 km) が1918年(大正7年)10月17日に開業した[1]。開業当初は白石駅 - 定山渓駅間3往復と豊平駅 - 定山渓駅間1往復の運行で[1]、白石駅 - 定山渓駅間を1時間30分で結んだ。

定山渓鉄道は、定山渓温泉の発展とともに順調に業績を伸ばし、1932年には札幌からのバス運行も開始した。1930年代には木材鉱石貨物輸送も増えたが、太平洋戦争中には温泉客が減り、鉱石・石材輸送に重点が置かれた。しかし、資材不足が深刻になったことで終戦時には稼働率が4割に落ち、列車の窓は3分の1がベニヤ板張りに変わっていた。

定山渓鉄道線の全盛期は、戦後復興に伴い定山渓温泉が繁栄を取り戻したことで訪れた。1949年(昭和24年)から1963年(昭和38年)にかけて、夜間発の往復乗車券とビール券とうきび枝豆・温泉利用をセットにした「月見電車」を運行した。会社が整備した豊平川沿いのハイキングコースは多くの市民に利用された。また、1944年(昭和19年)に事故で閉山した豊羽鉱山1950年(昭和25年)に再開し、定山渓鉄道がその鉱石の輸送を引き受けた。

1957年(昭和32年)に東京急行電鉄(現・東急)が定山渓鉄道の株を買収し、傘下に収めた。これにより、駅・営業所ごとに予算や営業目標を立てたり、沿線で宅地開発や高校の誘致に取り組んだりするなど、東急式の経営が導入された。当時東急グループを率いていた五島慶太は買収に4か月先立つ同年6月、札幌市産業会館で約170人の地元経済人を相手に「北海道における交通政策」と題して講演を行い、札幌都市圏私鉄を統合して定山渓鉄道線と夕張鉄道線の延伸も視野に入れ、札幌市と江別市の間に新たに20 kmの鉄道を敷く構想(「#札幌急行鉄道」参照)を発表したが、1959年(昭和34年)に五島が逝去したことなどで実現しなかった[2]

しかし、この頃から貨物輸送をトラックに奪われ始め、1963年(昭和38年)には豊羽鉱山の鉱石輸送がトラックに切り替えられた。また、東急傘下入り後に計画されていた複線化及び中山峠方面への路線延長が実現できず[3]、運転間隔が短縮できないまま道路事情が好転し、旅客も徐々にバスやマイカーに流出していった。これに加え、1966年(昭和41年)に北海道警察本部から豊平駅近くの国道36号線上の踏切が交通上の障害になっているとして、高架化するか廃止して線路を撤去するなどの適切な処置を取るよう勧告された[注釈 2]

こうした劣勢の中で、札幌市が地下鉄南北線を建設することに伴う用地買収を申し出た。定山渓鉄道はこれに応ずる形で鉄道部門の廃止を決定し、1969年(昭和44年)11月1日をもって全線廃止となった。

廃止後は電車路線に沿う形で代行バスが運行されていたが、既存のバス系統と再編・統合され、1970年(昭和45年)に廃止された。
年表

1913年大正2年)

2月12日松田学ら24名が、苗穂 - 定山渓間 (28.9 km) の鉄道敷設申請[1]

7月16日:苗穂 - 定山渓間 (28.9 km) 免許[1][4]


1915年(大正4年)

12月20日:定山渓鉄道株式会社の設立[1][5]。初代社長は松田学[6]


1916年(大正5年)4月13日:同日付の認可で、分岐駅を苗穂駅から白石駅に変更[1]

1917年(大正6年)4月6日:白石駅 - 定山渓駅間 (29.9 km) 着工[1]

1918年(大正7年)10月17日:白石駅 - 定山渓駅間 (29.9 km) 開業[1][7]。豊平駅、石切山駅、藤の沢駅[注釈 3]、簾舞駅、定山渓駅を新設[1][8]

1920年(大正9年)4月1日:真駒内駅を新設[1][9]

1924年(大正13年)1月1日:滝の沢駅[注釈 4]を新設[1]

1926年(大正15年)

8月15日一の沢停留所を新設[1]

8月21日北海道鉄道(→後の国鉄千歳線〈旧線〉)の開通に伴い、東札幌駅を新設[1]


1928年(昭和3年)

6月7日錦橋駅を新設[1]


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