受領名は朝廷の関知しない僭称であり、本来ならば不当ともいえる慣行であった。しかし、室町時代は守護の力も強く、武士が中心の社会であったため、こうした慣行が取り締まられることはなく、戦国時代を通じて官途状が武功の恩賞として多用された。とはいえ、朝廷など公式な場で名乗ることは憚られ、官名を略したり、違う表現に置き換えたりした[1]。
そこで、正式な官途名を工夫して、略して称する習慣が生まれ、これが武士の間で広まり百官名・東百官という名乗りに派生していくこととなった[2]。
江戸時代になると、中世末に一度没落し大名の地位を失った武士の家系などで、主に名主となって農村に残った旧臣たちに対して、官途状を発給する習慣が残った[1]。
脚注[脚注の使い方]^ a b c d 国史大辞典編集委員会 編『国史大辞典第3巻』吉川弘文館、1983年、900-901頁。
^ 百官名については、松村明編『大辞林 第三版』(三省堂、2006年)2156頁、新村出編『広辞苑 第六版』(岩波書店、2011年)2391頁、東百官については国史大辞典編集委員会編『国史大辞典第1巻』(吉川弘文館、1979年)214頁参照。
参考文献
小和田哲男 「今川義元はなぜ三河守か?-武士と官途受領名」『日本史に出てくる官職と位階のことがわかる本』 新人物往来社、2009年、93-98頁。
国史大辞典編集委員会編『国史大辞典第1巻』(吉川弘文館、1979年)
国史大辞典編集委員会編『国史大辞典第3巻』(吉川弘文館、1983年)
新村出編『広辞苑 第六版』(岩波書店、2011年)ISBN 400080121X
松村明編『大辞林 第三版』(三省堂、2006年)ISBN 4385139059
関連項目
官位
仮名 (通称)
武家官位
受領名
百官名
輩行名
日本の官制