宗谷本線(そうやほんせん)は、北海道旭川市の旭川駅から名寄市の名寄駅を経て、稚内市の稚内駅を結ぶ北海道旅客鉄道(JR北海道)の鉄道路線(地方交通線)である。 旭川市から上川管内北部・宗谷管内と道北地方を縦断し、北方領土を除く日本最北端の自治体である稚内市に至る全長259.4 km の鉄道であり、地方交通線としては日本最長である。ほぼ全区間で起終点を同じくする国道40号と並行し、士別市から幌延町にかけては、天塩川の右岸を走行する。 かつて、日本領土であった樺太(南樺太)への連絡鉄道として建設が進められ、終点の稚内から対岸の大泊(コルサコフ)への鉄道連絡船(稚泊航路)が第二次世界大戦終戦時の1945年8月まで就航していた。 また、沿線を流れる天塩川の舟運に代わり、各支線と合わせ道北各地で産出される木材や石炭等の鉱物、水産物を輸送する重要な貨物輸送路線としての使命も担った。このため、第二次世界大戦末期にあって、全国的に列車本数の削減が度々行われるなか、北海道内で最後まで急行列車が運行されていた。 ソ連対日参戦による南樺太占領で戦後は樺太連絡の使命を失い、合理化のため早くも1955年(昭和30年)から多くの普通列車が気動車化された。優等列車は1958年(昭和33年)10月1日に復活し[8]、以降一貫して運転されている。 2000年(平成12年)3月11日には旭川駅 - 名寄駅間の高速化改良工事が完成したことから定期特急列車の運転が開始された[報道 4][新聞 1][新聞 2]。一方で、1995年(平成7年)9月4日までに天北線・深名線など接続する支線は全て廃線となった。 1898年(明治31年)8月12日の旭川駅 - 永山駅間が北海道官設鉄道によって開業したのに始まり[9]、1903年(明治36年)9月3日には名寄駅に到達[9]。以降は官設鉄道によって建設が進められ、1922年(大正11年)11月1日に稚内駅(現在の南稚内駅)まで、浜頓別駅経由のルートで到達した[9][新聞 3]。現在の幌延駅経由のルートは1922年(大正11年)11月8日[9][10][11]から1926年(大正15年)9月25日[9][10][11]にかけて天塩線(てしおせん)[注釈 1]として建設されたもので、1930年(昭和5年)4月1日に宗谷本線に編入され[9][10]、浜頓別経由のルートは北見線(後の天北線)として分離された[9][10]。
概要
歴史当線の昼行優等列車については「宗谷 (列車)」を、うち、名寄本線直通列車については「名寄本線#運転#優等列車」を、快速列車については「なよろ (列車)」を参照