完全試合
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延長15回のうち12回を投げ切って4-2で勝ち投手となる[14]
1967年08月06日 ディーン・チャンスミネソタ・ツインズ2-0ボストン・レッドソックス5レインアウトによる試合終了。
この年のチャンスは8月25日のインディアンス戦でもノーヒッターを記録、
レッドソックス監督のディック・ウィリアムズをして、「雨天終了でなければ、
チャンスは完全試合を達成していただろう」と言わしめた[15]
1984年04月21日 デビッド・パーマー(英語版)モントリオール・エクスポズ4-0セントルイス・カージナルス5ダブルヘッダー第2戦のレインアウトによる試合終了。
パーマーは肘の故障により82年以降勝ち星から遠ざかっており、
これが2年ぶりの勝利であった[16]

学生野球での事例

アメリカの学生野球では次のような記録が残されている。

2006年5月19日 - ハイランド・パーク高等学校
(英語版)対ノース・ウェスト高等学校(英語版)戦 - ハイランド・パーク高校のクレイトン・カーショウが、ノース・ウェスト高校の先頭打者から15人を連続三振に討ち取り、5回終了時点で13-0であった為、マーシー・ルール(日本でいうコールドゲーム)の適用で5回コールドとなった。マーシー・ルールの下での完全試合は参考記録となるが、カーショウの記録は全米史上初の全打者を三振とする形での完全試合であった事が特筆される[17]

2016年5月12日 - セント・エドワード高等学校(英語版)対ジョン・マーシャル高等学校(英語版)戦 - セント・エドワード高校のジャレット・エドワーズがジョン・マーシャル高校の先頭打者から15人を連続三振に討ち取り、5回終了時点で10-0であった為、マーシー・ルールの適用で5回コールドとなった[18]。マーシー・ルールの下での記録の為公式には参考記録となるが、オハイオ州はエドワーズの事績を公式記録として認定した[19]

2017年4月11日 - チャタヌーガ・クリスチャン・スクール(英語版)対ノートルダム高等学校(英語版)戦 - チャタヌーガ・クリスチャン校のマシュー・マーサーにより達成。10-0でマーシー・ルールの適用で5回コールドとなる。なお、マーサーは同年4月4日のブレッドソー郡立高校戦でも14-0のスコアで5回コールドでの完全試合を達成しており、2試合連続でマーシー・ルール下の完全試合を達成するという偉業を成し遂げた[20]

1957年8月23日 - 1957年のリトルリーグ・ワールドシリーズ決勝戦(英語版) ヌエボ・レオン州モンテレイ(メキシコ)対カリフォルニア州ラ・メサ戦 - モンテレイの両投げ投手であるエンジェル・マシアス[21]が、ラ・メサの全18人の打者の内11人を三振に討ち取り達成[22]リトルリーグ・ワールドシリーズで唯一の完全試合となっている[23][22]。モンテレイの勝利はリトルリーグ・ワールドシリーズで米国外のチームが優勝した初の事例であり、脚本家のW・ウィリアム・ウィノカーは「この事績の衝撃は、1980年レークプラシッドオリンピックのアイスホッケー競技にて米国チームがソ連チームを打ち破った事績(氷上の奇跡)を上回っていた」として、2008年の映画『ザ・パーフェクトゲーム(英語版)』の脚本を執筆した[23]。マシアスはその後野手に転向し、1962年から1974年に掛けてカリフォルニアリーグリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル等でプロ選手として活動[21]。1969年にはレイノサ・ブロンコスの優勝に貢献[24]し、引退後はメキシコのアマチュア野球で指導者として活動した[22]

日本野球
プロ野球

日本プロ野球 (NPB) では、これまで16度記録されている[25]。参考記録としてコールドゲームによるものが1度記録されている[26]。上述のMLBにおける定義と異なりNPBでは継投での完全試合達成は記録されない(参考記録となる)。

なお、2022年時点で延長で完全試合を達成したものは一人もいない[27]

チーム名・球場名は達成当時のもの。

達成日投手所属スコア対戦相手球場備考
1950年06月28日藤本英雄巨人4-0西日本青森市営野球場NPB史上最年長記録(32歳1ヶ月)

投球数は96球。マダックス(100球未満完封)。
1955年06月19日武智文雄近鉄1-0大映大阪球場同年8月30日の大映戦でも9回1死までパーフェクトに抑えている。
1956年09月19日宮地惟友国鉄6-0広島石川県営兼六園野球場最小投球数(79球)
1957年08月21日金田正一国鉄1-0中日中日球場抗議と観客乱入で9回1死から43分間中断、 NPBでの達成者では唯一の左腕投手
1958年07月19日西村貞朗西鉄1-0東映駒澤野球場
1960年08月11日島田源太郎大洋1-0大阪川崎球場セ・リーグ史上最年少記録(20歳11ヶ月)
1961年06月20日森滝義巳国鉄1-0中日後楽園球場
1966年05月01日佐々木吉郎大洋1-0広島広島市民球場元々はアテ馬で1回終了時点で交代の予定だった
1966年05月12日田中勉西鉄2-0南海大阪球場1シーズン2人目の達成を果たした唯一の例
1968年09月14日外木場義郎広島2-0大洋広島市民球場セ・リーグタイ記録となる1試合16奪三振も記録
1970年10月06日佐々木宏一郎近鉄3-0南海大阪球場大阪球場でのプロ野球の完全試合は3度目(最多)
1971年08月21日高橋善正東映4-0西鉄後楽園球場
1973年10月10日八木沢荘六ロッテ1-0太平洋宮城球場

カウントが「3ボール」までいかなかった唯一のケース

プロ初完封が完全試合(史上初)

1978年08月31日今井雄太郎阪急[28]5-0ロッテ宮城球場

NPB史上初の指名打者制度ありでの達成

昭和最後の完全試合

1994年05月18日槙原寛己巨人[28]6-0広島福岡ドーム

史上初にして現時点で唯一のドーム球場での達成

初の人工芝グラウンドでの達成

平成初にして唯一の達成 詳細は「槙原寛己の完全試合」を参照

20世紀最後の完全試合

2022年04月10日佐々木朗希ロッテ[25]6-0オリックスZOZOマリンスタジアム


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