さまざまな理由で完全試合を逃した例がある。
一度は完全試合として認定されながら後に取り消された例
アーニー・ショア
以前は完全試合として認められていながら、条件を満たしていなかったとして後に認定取り消しになった事例が2つある。
1917年6月23日のボストン・レッドソックスとワシントン・セネターズとの試合で、レッドソックスの先発投手ベーブ・ルースがセネターズの先頭打者レイ・モーガン(英語版)を与四球で出塁させたあと、判定への不満から球審に抗議して退場処分となった。その後、2番手として登板したアーニー・ショア(英語版)が、モーガンの盗塁死のあと試合終了まで26打者を全て凡退させた。これは当初はショアによる完全試合と認定されていたが、1991年にルースとショアの継投によるノーヒットノーランに訂正された[11]。
1959年5月26日のピッツバーグ・パイレーツとミルウォーキー・ブレーブスとの試合で、パイレーツの先発投手ハービー・ハディックス(英語版)はブレーブス打線を9回終了まで完全に抑えたものの、味方打線も無得点だったためそのまま延長戦に入った。ハディックスはその後も後続を完全に抑え続け、延長12回終了まで36打者を連続して凡退させたが、延長13回に先頭打者フェリックス・マンティーヤ(英語版)を三塁手 ドン・ホーク(英語版)の送球エラーで出塁させ、この回でサヨナラ負けを喫した。この試合は当初、最初の9イニングを完全に抑えたため完全試合と認定されていたが、完全試合の要件が変更された1991年に取り消された[12]。
9回終了まで完全に抑えながら延長で完全試合を逃した例
達成日投手所属スコア対戦相手球場備考
1959年05月26日 ハービー・ハディックス(英語版)ピッツバーグ・パイレーツ0-1ミルウォーキー・ブレーブスミルウォーキー・カウンティ・スタジアム詳細は上記
1995年06月03日 ペドロ・マルティネスモントリオール・エクスポズ1-0サンディエゴ・パドレスジャック・マーフィー・スタジアム10回無死からビップ・ロバーツ(英語版)に初安打
9回2死まで完全に抑えながら完全試合を逃した例
達成日投手所属スコア対戦相手球場備考
1908年07月04日 フックス・ワイルズ(英語版)ニューヨーク・ジャイアンツ1-0フィラデルフィア・フィリーズポロ・グラウンズジョージ・マッキラン(英語版)に初死球