宋史
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このため、同一の内容を取り上げているにもかかわらず、記述が相互に一致しないなどの問題点が指摘されている。

宋代は史料が格段に増えた。まず史学の発展に伴って史館国史院が創設され、日々の出来事が詳しく記録されるようになった。次に、個人の伝記や碑文・墓誌・行状といったものが多く作られるようになり、印刷術の普及もあって豊富な史料を前にして元代の史家は持て余した観がある。

『宋史』の基となったと考えられる主な勅撰史料

『両朝国史』(前期)…王旦
らによって書かれた太祖太宗2代の歴史書、120巻。更に呂夷簡・王曽らによって真宗期が追加されて、『宋三朝国史』(150巻、紀10巻・志60巻・列伝80巻)に再構成された。

『両朝国史』(後期)…王珪らによって書かれた仁宗英宗2代の歴史書、120巻。

『神宗正史』…ケ洵武らによって書かれた仁宗1代の歴史書、120巻。

『哲宗正史』…王孝廸らによって書かれた哲宗1代の歴史書、210巻。

『宋四朝国史』…李Z洪邁らによって書かれた仁宗・哲宗・徽宗欽宗4代の歴史書、350巻。

この他に太祖から理宗まで15代の『実録』と度宗1代を扱った史料集『度宗時政記』があり、これに他の歴史資料を組み合わせて編纂されたと考えられている。
後世の史家による批判

後世史家の『宋史』への批判は、単に体裁の不備にのみ寄せられたのではなく、イデオロギー的側面もあったことは念頭に置く必要がある。すなわち宋代以降、 朱子学的正統論が喧しくなるが、それは『遼史』・『金史』・『宋史』編纂方針にも向けられた。正統論を唱える者は、『宋史』のみが作られるべきであって、遼や金については外国志のレヴェルで十分という意見であり、三史それぞれ別に作ることに反対を唱えた。だが、前述のように元の宮廷内には遼や金の遺臣もおり、そのような批判が受け入れられることはなかった。また、元に降伏した恭帝を最後の皇帝として、南方に逃れた人々によって擁立された端宗衛王(帝?)を正式な皇帝と認めず本紀を立てなかったことも、朱子学者たちの激しい反発を呼んだ。

実際に元の支配が終わり、漢民族王朝である代に入ると、柯維騏は『宋史新編』を著して、遼・金を「外国伝」に編入し、恭帝に従って元に降った高官達を「叛臣伝」に加えている。

また、『史記』以来儒学者のために立てられていた「儒林伝」とは別に朱子学者のために「道学伝」が立てられたり、北宋末期の新法・旧法の争いでは、王安石を除いた新法党政権の要人の多くが「姦臣伝」に入れられ、また金と講和した南宋の宰相秦檜も「姦臣伝」に加えられているのも、朱子学的イデオロギー者が強く反映された結果と言え、代以後に彼らの業績を客観的に見る動きが登場すると、『宋史』の記述が旧法党や対金強硬派に偏っているとみなされるようになった。
後世の補遺・改訂

『宋史』の不備を補うために、後代いくつも補遺・改訂の試みがなされた。さきに挙げた『宋史新編』の他にも、宋人の伝記に焦点を当てた陸心源の『宋史翼(中国語版)』や陳邦瞻の『宋史紀事本末』などがある。
『宋史』における日本

『宋史』では日本は巻四百九十一、列伝第二百五十、外国七において「流求」国の少し後で触れられている。「然太宗に献上した『王年代紀』から引用して、天御中主から彦瀲尊まで23世と神武天皇から守平天皇(円融天皇)まで64世の系譜が述べられる。釐王甲寅の年に神武天皇が即位したと記すが、『日本書紀』では即位は辛酉の年であり、甲寅は東征開始の年である。どちらも周の恵王の時代に当たる。聖徳太子が年3歳にして10人の言葉を聞き分けられたという逸話も紹介している。当時は歴代に加えられていなかった弘文天皇淳仁天皇のうち、弘文天皇は記されていないが、淳仁天皇は「天炊天皇」と記し、神功皇后を「神功天皇」と記して歴代に加えているため、円融天皇を第64代とする現在の数え方と一致する。また日本が中国で滅失したものも含め多くの漢籍を蔵していることはこの頃から知られていたようで、「其國多有中國典籍」という記載も見える。記述は南宋の寧宗嘉泰2年(1202年)の記事までで終わっている。
内容
本紀
本紀第一 ?
太祖

本紀第二 ? 太祖二

本紀第三 ? 太祖三

本紀第四 ? 太宗

本紀第五 ? 太宗二

本紀第六 ? 真宗

本紀第七 ? 真宗二

本紀第八 ? 真宗三

本紀第九 ? 仁宗

本紀第十 ? 仁宗二

本紀第十一 ? 仁宗三

本紀第十二 ? 仁宗四

本紀第十三 ? 英宗

本紀第十四 ? 神宗

本紀第十五 ? 神宗二

本紀第十六 ? 神宗三

本紀第十七 ? 哲宗

本紀第十八 ? 哲宗二

本紀第十九 ? 徽宗

本紀第二十 ? 徽宗二

本紀第二十一 ? 徽宗三

本紀第二十二 ? 徽宗四

本紀第二十三 ? 欽宗

本紀第二十四 ? 高宗

本紀第二十五 ? 高宗二

本紀第二十六 ? 高宗三

本紀第二十七 ? 高宗四

本紀第二十八 ? 高宗五

本紀第二十九 ? 高宗六

本紀第三十 ? 高宗七

本紀第三十一 ? 高宗八

本紀第三十二 ? 高宗九

本紀第三十三 ? 孝宗

本紀第三十四 ? 孝宗二

本紀第三十五 ? 孝宗三

本紀第三十六 ? 光宗

本紀第三十七 ? 寧宗

本紀第三十八 ? 寧宗二

本紀第三十九 ? 寧宗三

本紀第四十 ? 寧宗四

本紀第四十一 ? 理宗

本紀第四十二 ? 理宗二

本紀第四十三 ? 理宗三

本紀第四十四 ? 理宗四

本紀第四十五 ? 理宗五

本紀第四十六 ? 度宗

本紀第四十七 ? 瀛国公建国公永国公


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志第二十 ? 五行五

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志第二十二 ? 律暦二

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志第三十一 ? 律暦十一

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志第三十三 ? 律暦十三

志第三十四 ? 律暦十四

志第三十五 ? 律暦十五

志第三十六 ? 律暦十六

志第三十七 ? 律暦十七

志第三十八 ? 地理一

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