安藤忠雄
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キューバの革命家チェ・ゲバラに傾倒し[12]、ガンジス川の河岸でゲリラ的生き方を決意。

1969年:安藤忠雄建築研究所を大阪に設立し、個人住宅を多く手がける。

1976年:「住吉の長屋」(大阪市住吉区)が高く評価され、1979年に日本建築学会賞を受賞。以降、コンクリート打ち放し幾何学的なフォルムによる独自の表現を確立し、世界的な評価を得る。

1980年代関西周辺(特に、神戸市北野町と大阪市心斎橋)での商業施設設計や寺院・教会設計を相次いで建設。

1987年:米国イェール大学客員教授

1988年:米国コロンビア大学客員教授。

1989年:米ハーバード大学客員教授。福武書店(後のベネッセ)福武總一郎の依頼により、直島国際キャンプ場をオープン。その後、直島プロジェクトに参画、1992年ベネッセハウス1999年の「家プロジェクト」(南寺)へと続いていく。

1991年:米国 ニューヨーク近代美術館にて個展開催。

1993年:フランスのポンピドゥー・センターにて個展開催。

1997年東京大学工学部建築学科教授に就任[注釈 2]

2000年豊島での産廃不法投棄事件が起きた瀬戸内海の環境保護をめざす「瀬戸内オリーブ基金」を中坊公平らと設立[13]。。

2002年:米国南カリフォルニア大学客員教授。

2003年:東京大学を定年退官して、東京大学名誉教授の称号を得る。

2005年

新設された「東京大学特別栄誉教授」の称号を得る[2]

安藤忠雄文化財団を設立[注釈 3]


2008年大阪府政策アドバイザー(水都・都市景観分野)。

2009年:総合アドバイザーを務める「水都大阪2009」開催[14]

2011年

東日本大震災復興構想会議議長代理。

ヴェネツィアン・グラスのブランドである伊ヴェニーニとオブジェを共同制作(2017年までに4回実施)[15]


2012年国立競技場 国際デザイン・コンクール審査委員長。国立競技場将来構想有識者会議委員。

2017年 :国内では初の個展となる安藤忠雄展「挑戦」を国立新美術館で開催。

2018年:10月10日より、フランス首都パリポンピドゥー・センターにて安藤忠雄展「挑戦」が、日仏友好160周年、日本文化紹介事業「ジャポニスム 2018」の公式企画として開催[16]

2019年2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)ロゴマーク選考委員会座長に就任[17]

2020年:大阪・関西万博までに2025本のを府内に植樹することを目的に立ち上げた「万博の桜2025」実行委員会委員長に就任[18]

社会活動
環境問題と植樹・緑化

大阪市の桜之宮公園から中之島公園を結ぶルートに桜を植樹する運動を提唱し、「桜の会・平成の通り抜け」実行委員長。3000本を植樹し、「造幣局の通り抜け」とともに「平成の通り抜け」として大阪に新たな桜の名所をつくろうとするもの。

東京都庁からは「緑の東京募金実行委員会」委員長に任命され、東京湾埋立地に植樹する「海の森」プロジェクト[19] を、呼びかけ人の一人として推進している。

梅田スカイビルを建築した積水ハウス2013年6月17日に、安藤の発案で、同ビル内に高さ9メートル、長さ78メートルに亘って約50種の草木を植樹する内容の「緑の壁」計画を発表した[20]。ビル緑化の取り組みの一つとされていたが、同日にビルの庭園の設計を担当した造園家吉村元男が、当該計画は庭園のデザインの統一性を損ね、かつ著作権侵害にあたるとして、同月19日に同社に対し、工事中止を求める仮処分大阪地方裁判所に申請した[21]


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