安房国
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15世紀半ば頃より里見氏が台頭し、戦国期には安房統一を果たして上総から下総の一部に至るまで勢力を張った。

豊臣秀吉による小田原城攻め以後は、安房一国が里見氏の領地となった。関ヶ原の戦いでは、里見氏は徳川家康を支援して加封を受けたものの、江戸幕府成立後の慶長19年(1614年)に里見忠義大久保忠隣改易に連座して伯耆国倉吉に転封。その後は、東条藩勝山藩北条藩館山藩などの諸藩と、幕府領旗本領が置かれた。村数は280ヵ村(天保期)。明治2年(1869年)安房では勝山、館山の2藩に、新たに長尾藩花房藩の2藩が置かれた。この地の幕府領・旗本領は安房上総知県事・柴山典の管轄となり、翌年に宮谷県が置かれて柴山典が権知事となり、安房4郡の約5万6千石を管理した。明治4年(1872年)、廃藩置県によって木更津県に編入され、明治6年(1874年)木更津県と印旛県の合併により千葉県に編入された。明治30年(1897年)には安房国4郡が統合されて、千葉県安房郡に再編された。
明治以降の沿革

旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での国内の支配は以下の通り。太字は当該郡内に藩庁が所在。国名のあるものは飛地領。(293村・95,877石余)

長狭郡(62村・23,050石余) - 幕府領旗本領、館山藩、船形藩、武蔵岩槻藩上総鶴牧藩

朝夷郡(63村・22,704石余) - 幕府領、旗本領、館山藩、上野前橋藩、武蔵岩槻藩、越前敦賀藩、上総鶴牧藩

平郡(75村・26,239石余) - 幕府領、旗本領、勝山藩船形藩、館山藩、上野前橋藩、近江三上藩

安房郡(93村・23,884石余) - 幕府領、旗本領、館山藩、船形藩、上野前橋藩、近江三上藩


慶応4年

船形藩が廃藩。元治元年(1864年)立藩のため、わずか4年での廃藩となった。

7月2日1868年8月19日) - 幕府領、旧船形藩領に安房上総知県事を設置。

7月13日(1868年8月30日) - 駿河田中藩が平郡・安房郡・朝夷郡に転封し、長尾藩となる。


明治元年

9月21日(1868年11月5日) - 遠江横須賀藩が長狭郡に転封し、花房藩となる。

平郡に三河西尾藩が入封。

以上の変更にともない、勝山藩、館山藩および前橋藩、岩槻藩、鶴牧藩、敦賀藩、三上藩の飛地領で領地替えが行われる。各飛地領が消滅。


明治2年

2月9日1869年3月21日) - 安房上総知県事が宮谷県となる。

6月23日(1869年7月31日) - 勝山藩が、越前勝山藩美作勝山藩との区別のため、任知藩事後に加知山藩に改称。


明治4年

7月14日1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が加知山県、館山県、長尾県、花房県および西尾県の飛地となる。

11月14日(1871年12月25日) - 国内に県庁を置く各県(国外の飛地領を除く)が木更津県に統合。


明治6年(1873年6月15日 - 木更津県が印旛県に統合して千葉県が発足。


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