安彦 良和
2015年、第28回東京国際映画祭にて
生誕 (1947-12-09) 1947年12月9日(76歳)[1]
日本・北海道紋別郡遠軽町東社名淵(現・若松)
国籍 日本
職業漫画家
アニメーター
アニメ監督 など
活動期間1970年 -
代表作アニメ:『機動戦士ガンダム』(キャラクターデザインおよび作画監督) ほか
漫画:『ナムジ』『王道の狗』『虹色のトロツキー』『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』 ほか
受賞第19回日本漫画家協会賞優秀賞(『ナムジ』)
第4回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞(『王道の狗』)
第43回星雲賞コミック部門(『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』)
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安彦 良和(やすひこ よしかず、1947年12月9日 - )は、日本の漫画家、アニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ監督、イラストレーター、小説家。北海道紋別郡遠軽町出身。埼玉県所沢市在住。
遠軽高校、弘前大学を経て、1970年虫プロ養成所に入りアニメーターとなる。虫プロ倒産後はフリーとなり『宇宙戦艦ヤマト』『勇者ライディーン』『超電磁ロボ コン・バトラーV』『無敵超人ザンボット3』など数多くのアニメ作品に携わる。その中でもキャラクターデザインおよび作画監督を務めたアニメ『機動戦士ガンダム』は、その後放映された劇場版とも併せ社会現象ともいえるブームを巻き起こし、2022年の時点でも根強い人気を誇る[2]。
1990年以降、アニメ製作現場を離れて専業漫画家となり、『ナムジ』『虹色のトロツキー』『王道の狗』など主に歴史ものを描いて第19回日本漫画家協会賞優秀賞(『ナムジ』)、第4回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞(『王道の狗』)などを受賞した。
2001年から2011年まで漫画雑誌『ガンダムエース』で連載した『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』は、累計発行部数1,000万部を超えるヒット作となり[3]、同作のアニメ化作品『機動戦士ガンダム THE ORIGIN I 青い瞳のキャスバル』(2015年2月公開)では総監督を務め、約25年ぶりにアニメの現場に復帰した[4]。
日本漫画家協会会員。日本SF作家クラブ会員だったが[5]2023年5月時点では退会している。 1947年、北海道オホーツク管内遠軽町東社名淵(ひがししゃなふち、現在の若松)に、姉三人、兄二人(ただし長男は生後間もなく亡くなった)、妹一人の三男として生まれる[6]。曽祖父は福島県伊達郡(桑折町)半田の半田銀山で絵図面描きをしていたといい、1891年に祖父が屯田兵として遠軽町に移り住み、開拓を始めた。安彦の父は東社名淵のハッカ作りの代表格で、1938年から1942年までは町会議員もつとめており[7]、自身いわく「普通の、裕福でも悲惨でもない農家」であったという[6]。 幼いころから3歳年上の兄が買っていた学年誌を読むなどして漫画に興味を持ち、小学校3年生のころには鈴木光明の『織田信長』に惹かれ「川中島の合戦」のシーンを自己流でノートに鉛筆書きしていた[8]。漫画はもっぱら友人から借りて読むことが多く小学校5・6年のころには横山光輝の『鉄人28号』が好きで、ノートの余ったページなどに誰に見せるでもなく漫画を描いていた。安彦の父はそれを「ポンチ絵」と呼んで人に見せるなど無邪気に喜んでいたが、母は「そんなしょうもないことしてるんなら家の手伝いをしろ」と嫌がっていた[8]。またこの頃見たアニメ映画『白蛇伝』が安彦が初めて見たアニメ映画であった。 小学校6年のとき、赴任してきた校長が個展をひらくほど絵が好きで安彦も絵のみならず様々なことを教わった。安彦は中学・高校を通じて絵の指導を受けたことがなく、アニメの世界に入っても誰かに教わったということがないため「僕の絵に、お師匠さんはいないんです。あえて探せば、この校長先生だけですね」と語っている[8]。
経歴
生い立ち