安島氏
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脚注[脚注の使い方]^ 日本家紋研究会編『家紋でわかるあなたの祖先 福島県浜通り地方、原町、相馬市、いわき市』(日本家紋研究会、2001年)2頁参照。なお、関孝和を開祖とする算学関流の免状である「関流宗統之修業免状」に安島萬蔵藤原直圓との記載がある。詳細は三上義夫著「関流数学の免許段階の制定と変遷」三田史学会編『史学第10巻』(三田史学会、1931年)393頁参照。ちなみに、遠祖の家系とされる藤原北家は摂政関白を輩出する摂家をはじめとする公家の頂点ともいうべき系統であり、その傍流 藤原秀郷はもとは下野国府の在庁官人であり、天慶2年(939年11月21日下総国豊田猿島郡司平将門新皇と称して朝廷に叛旗を翻し承平天慶の乱を起こすと、将門の従兄で平氏の嫡流であった左馬允平貞盛とともにこれを討ち、従四位下に叙せられ鎮守府将軍武蔵守下野守に任ぜられた武将である。後世、弓馬故実の流祖として多くの東国武士の尊崇を集め、佐野唐沢山神社に祀られるなど軍神としても仰がれた。秀郷の家系は源氏平氏を凌駕する武家の棟梁として看做され、その子孫からは小山氏結城氏波多野氏をはじめ多くの武門が誕生した。なお、平貞盛もこの戦功で従五位下に叙せられ、国司を歴任、後に鎮守府将軍となり伊勢平氏常陸平氏などの祖となる。なお、藤原秀郷については、野口実著『伝説の将軍 藤原秀郷』(吉川弘文館、2001年)5頁以下、安木三郎著『藤原秀郷将軍』(牧歌舎、2006年)14頁、野口実著『武家の棟梁の条件』(中央公論社、1994年)64頁-73頁以下に詳しい。
^ 日本家紋研究会『家紋でわかるあなたの祖先 茨城県』(日本家紋研究会、2001年)3頁、日本家紋研究会編『家紋でわかるあなたの祖先 茨城県北部地方』(日本家紋研究会、2001年)2頁参照。諏訪氏は信濃国一ノ宮 諏訪神社、現在の諏訪大社大祝を世襲、諏訪郡を中心に栄えた諏訪神党の家柄。代々、源氏の家人であり、鎌倉幕府御家人を経て、執権北条氏の御内人となり、その勢威を背後に全国に諏訪神社を建立したという。常陸国にも諏訪神社が建立され諏訪姓の神官が任ぜられた。安島氏はその一族か。但し、詳細及び正否は不詳。
^ 太田亮著、上田萬年三上参次監修『太田亮姓氏家系大辞典 第1巻』(角川書店、1934年)106頁。
^ 平輪光三,佐々木靖章『野口雨情』、雄山閣出版、1953年、15頁、.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISSN 0065-4140。 
^ a b 市村高男著『戦国期東国の都市と権力』(思文閣出版、1994年) 166頁参照。
^ 安島氏の類似姓である葦間氏については「清和源氏佐竹白石氏の族なりと伝わる。『佐竹白石系図』に、「佐竹白石源忠-義忠(葦間)」と見ゆ」と載せる。この点については太田亮前掲書(角川書店、1934年)106頁に記載がある。
^ a b 磐城新聞編輯部『磐城高風録』(磐城新聞社、1928年)73頁参照。
^ 宮本洋一著『姓氏語源大辞典』(示現舎、2016年)32頁参照。
^ いわき市史編さん委員会, 伊藤信雄,小林清治 編『いわき市史』 第一巻 原始・古代・中世、いわき市教育文化事業団、1972年2月、159頁。 
^ 長福寺所蔵『小川家系図』参照。
^ 茨城県史編集会監修 著、茨城県立歴史館 編『茨城県史料中世編W』茨城県、1991年3月25日、325-326頁。 
^ 大子町史編さん委員会『大子町史 通史編 上巻』大子町、1988年3月 1988、277頁。 
^ a b c d e f 茂木和平『埼玉苗字辞典』 第五巻上、茂木和平、2004年10月、8543頁。 
^ 佐々木倫朗著「佐竹氏の陸奥南郷経営―戦国期から統一政権期にかけて―」『歴史人類 第5号』(筑波大学歴史人類学系、1997年3月)49頁以下参照。
^ 美濃守清広については本項目 秋田藩士安島氏安島美濃守清広の節を、丹後守久成については新庄藩士 安島氏安島丹後守久成の節を参照のこと。
^ a b 安島久成については金子務著『ジパング江戸科学史散歩』(河出書房新社2002年) 211頁にも詳しい。
^ a b c なお、佐竹氏の陸奥南郷支配の経緯と、知行宛行を受けた在来の土豪や家臣についての詳細は佐々木倫朗前掲「佐竹氏の陸奥南郷経営―戦国期から統一政権期にかけて―」『歴史人類 第5号』(筑波大学歴史人類学系、1997年3月)50?51頁及び67頁の「文禄四年八月二十八日付高野郡菅家い知行充行奉書目録」の表を参照のこと。
^ 山形県新庄市立図書館編『郷土資料叢書第十輯』「戸沢家中分限帳(二)」53頁参照。
^ 詳細は安島修理亮某の節を参照
^ 福島県では、日本家紋研究会前掲『家紋でわかるあなたの祖先 福島県浜通り地方、 原町、相馬市、いわき市』(日本家紋研究会、2001年)では安島姓の記載があるが福島県の中通り(福島市二本松市郡山市須賀川市白河市など)及び会津地方(会津若松市喜多方市など)の資料には安島姓に関する記載はない。
^ 諸太夫とは本来、親王や摂家、大臣家の家令・家扶のこと。江戸時代以降は五位に叙せられるものをいった。和田英松著、所功校訂『新訂 官職要解』(岩波書店、2006年)301頁及び355頁参照。
^ なお、受領名とは朝廷の正式な官職ではなく、室町時代守護大名が家臣に対して恩賞の一環として官職の私称を許したもの。安島清広が授けられた美濃守という受領名は、本来は従五位下相当の官職で、朝廷の地方官である美濃国国司長官官名のことである。国司の格式としては大国に次ぐ上国であり朝廷の税収が大いに期待された国である。また、安島下野守が名乗る受領名は従五位下相当の国司が任ぜられる上国であり、比較的格式の高い官名であった。また、安島久成の名乗る丹後守については、丹後国の国司の長官に由来する受領名であり、同国は大国、上国の次に位する中国に位し正六位下相当した。江戸時代など時代が下るにつれて従五位下相当として叙任された。官職については和田英松前掲書(岩波書店、2006年)162頁から166頁参照。
^ 詳細は以下 各安島氏の節を参照されたい。
^ a b 笠間藩主 牧野氏の家中について詳述した茨城県立歴史館所蔵の常陸笠間牧野家文書『年数帳』によれば、藩士の姓としてあの行に〔秋山・安堵・粟尾・朝比奈・芥川・秋元・荒木〕〔荒井・浅野・青木・新井・有馬・阿部・安嶋〕と記載されており、この中で安島(安嶋)姓の存在を確認することができる。
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