安土城
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]
注釈^ 昭和期に干拓が行われたため、現在は湖岸からやや離れている。
^ ただし、安土城に残る当時の石垣の積み方は場所により様々であり、特定の「穴太積み」なる技法の存在を想定するのは難しい。
^ ちなみに現在の清涼殿は、江戸時代に裏松光世が古代の清涼殿を復元した図面に基づいて安政年間に建てられたものである。
^ 桐の紋章がついた瓦も発掘されている。桐の紋章は足利将軍家が使用していたもので、こちらについては信長は1568年に上洛した際、足利義昭から使用許可を得ている。
^ 第三次長島侵攻には北畠家の水軍を派遣している。
出典^ 『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』
^ a b 「安土城の全容解明は後世に 08年度で調査終了、史跡の8割残す」『京都新聞』2008年2月8日
^ 秋田裕『織田信長と安土城』(創元社、1990年)
^ a b c 千田嘉博 (2018年3月22日). “【千田嘉博のお城探偵】CASE8 安土城空白の一日 信長の天主 誰が焼いた?”. 産経ニュース. 産業経済新聞社. 2021年2月22日閲覧。
^ a b 熱田公『日本の歴史11 天下一統』(集英社、1992年)p.195
^ “安土城「令和の大調査」で浮かび上がった廃城の真相”. 読売新聞. 2024年5月21日閲覧。
^ 盛本昌弘『本能寺の変 史実の再検証』(東京堂出版、2016年)の説。
^ 林屋辰三郎著『日本の歴史 12』(中央公論新社、2005年4月)ISBN 978-4122045224 等
^ 高柳光寿『明智光秀』(吉川弘文館、1958年)p.252-253
^ 谷徹也「総論 蒲生氏郷論」谷徹也 編著『シリーズ・織豊大名の研究 第九巻 蒲生氏郷』(戒光祥出版、2021年)ISBN 978-4-86403-369-5 P13-14.
^ 秋田裕毅文「安土城」 平井聖監修『城 5近畿』毎日新聞社、 1996年
^ 西ヶ谷恭弘監修『復原 名城天守』学習研究社 1996年 ISBN 978-4055001601
^ 藤堂家文書『累世記事』
参考文献
高柳光寿『明智光秀』吉川弘文館<人物叢書>、1958年9月。
熱田公『日本の歴史11 天下一統』集英社、1992年4月。ISBN 4-08-195011-3
林屋辰三郎『日本の歴史12 天下一統』中央公論新社<中公文庫>(改版版)、2005年4月。ISBN 4122045223
滋賀県安土城郭調査研究所編集「特別史跡安土城跡」
内藤昌「安土城の研究」上・下(『国華』987号・988号、1976年)
内藤昌『復元安土城 信長の理想と黄金の天守』(講談社、1994年)
平井良直「安土城天主五階の空間構成に関する一試論」(『日本歴史』570号、1995年)
木戸雅寿『よみがえる安土城』(吉川弘文館、2003年)
宮上茂隆「安土城天守の復元とその史料について―内藤昌氏「安土城の研究」に対する疑問―」(『国華』998・999号、1977年)
関連項目ウィキメディア・コモンズには、安土城に関連するメディアがあります。プロジェクト 日本の戦国時代
滋賀県立安土城考古博物館
安土城天主信長の館
安土町城郭資料館
日本の城一覧
近畿地方の史跡一覧
日本100名城
天守
ハ見寺
清洲城
岐阜城
信貴山城
多聞山城
二条御所
二条新御所
狩野山楽
外部リンク
織田信長の安土城趾とハ見寺
⇒滋賀県立安土城考古博物館
表
話
編
歴
日本100名城
北海道
根室半島チャシ跡群
五稜郭
松前城
東北
弘前城
根城
盛岡城
仙台城
多賀城
久保田城
次ページ記事の検索おまかせリスト▼オプションを表示暇つぶしWikipedia
Size:63 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef