安和の変
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注釈^栄花物語』などによれば兼通の息子・正光も高明の娘婿で、倉本一宏は兼通の冷泉・円融朝初期の官位停滞の原因を安和の変にみる[1]。また、栗山圭子は『大鏡』で兼通が関白就任のきっかけになったとされる亡き安子の遺命を自分が生んだ皇子女の後見の話として捉え、為平親王の後見人は兼通だったとする[2]

出典^ 倉本一宏 著「藤原兼通の政権獲得過程」、笹山晴生 編『日本律令制の展開』吉川弘文館、2003年。 
^ 栗山圭子 著「兼通政権の前提-外戚と後見」、服藤早苗 編『平安朝の女性と政治文化 宮廷・生活・ジェンダー』明石書店、2017年。 
^ 沢田和久「冷泉朝・円融朝初期政治史の一考察」『北大史学』55号、2015年。/所収:倉本一宏 編『王朝再読』臨川書店〈王朝時代の実像1〉、2021年、6-10頁。 

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